味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

天の命ずるを之れ性と謂い、

2017-07-01 16:07:56 | ブログ
第3106号 29.07.02(日)

子思子曰く、天の命ずるを之れ性と謂ひ、性に率ふを之れ道と謂ひ、道を脩むるを之れ教と謂ふと。天の明に則り、聖の法に遵ひて、此の篇を述べ、師たる者をして教ふる所以を知り、弟子をして學ぶ所以を知らしむ。『小学』(内篇 立教第一) 

 (中庸の作者たる)子思子の言に、「天は人間にかくあるべしとしてその本質を定められたのが性である。この本質に従って行動するが道である。またこの道を万人が行うために指導するのが教えである。今かの上天の明らかに命ずる所と、これを地上に実証した古の聖人の法度に従って、この一篇をつくり、師たるのは何を教えるべきか、弟子たるものは何を学ぶべきかを知らしめようとする次第である。

 【コメント】上の原文に<此の篇を述べ>とあるのは、篇中の内容はすべて天により定められ、聖人によって実証されたもので、自己の任意な創作ではないことを示すのである、としています。

 これは人間社会で言う思想とはかけ離れ、人を縛るものではなく、処世が極めて秩序正しく行われるための処方と捉えたいものです。

 昨晩の空手道教室も賑わいました。終盤に子供たちに組手技術の突き4連発で腹部に当てて貰いました。老いても腹部は健在だと確認できて有難いと思った次第です。

 優李さんと掌の大きさを確認しましたら、優李さんの方が大きく吃驚した次第でした。

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「古典の教え 四」の言葉は、

 『小学』は、<上に在りて驕らざれば、高くして危うからず>と教えています。「人の上に立つ高い地位にあっても驕ることなく、慎みを忘れなければ、身が危くなることはない」というのです。人に接するときは、公平でありたいものです。地位の低い人には、優しく教え伸ばしてやりましょう。

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『人としての生き方』(第60回)

 実際に行うということが如何に難しいことか。これについては『宋名臣言行録』の中に出て参ります。
 宋の時代に劉安世という方がおられます。至誠の権化・傑物として安岡先生が評価していますが、この劉安世の父・劉航と司馬温公(司馬公)は進士(高等文官試験)の同期生でした。そこで安世は温公のもとで勉学しました。この安世が進士に合格したにもかかわらず、役職に就かずに国へ帰ってきます。「なぜ出仕しないのか」と温公が尋ねると、「自分はまだ修行が足りない。役職に就くにはもっと学んでから行きます」ということでした。
 『論語』公冶長篇にあります。孔子が漆雕開に仕官をすすめます。「子、漆雕開をして仕えしめんとす」これに答えて漆雕開は次のように言います。「對えて曰わく、吾斯を之れ未だ信ずること能わず」私にはまだ役目を果たす自信がないと答えるんです。安世は、この漆雕開の言葉を引いて、役職に就くことを断ります。そして、温公に付いて五年の間学びます。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第52回)

    菅の苦悩・閃き

 維新政府は矢継ぎばやに改革をうちだしました。藩藉奉還、殿様が華族に、府県の私兵禁止、卒士族の帰農奨励、廃藩置県、斬髪廃刀令、階級を皇族・華族・士族・平民とし卒族は廃止。職業の自由。僕婢娼奴解放。太陽暦採用。徴兵令などなどは明治二年から明治五年までの四年間のことです。
 それまでは殿様が土地と人民を私有していたのを、挙げて国家のものにし、武士たちは殿様からの俸禄をうちきられ、政府から従来の禄高に応じて公債をうけとることになりました。これはそれまでの封建領主制へとどめをさし、新政府が一切を掌握することを意味するものです。
 たとえば庄内での金禄公債の支給割合は、従来の禄高の三分の一から五分の一という極めて少ないものでありましたから、殿様と藩士との間は精神的な関係だけとなってしまいました。

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