味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

聖賢の千言萬語は、

2018-01-23 10:51:39 | ブログ
第3311号 30.01.23(火)

聖賢の千言萬語(ばんご)は、只是れ人已に放たれし心を将(もっ)て、之を約し反覆して身に入り来らしめんことを欲す。自ら能く尋ね向上し去(ゆ)かば、下学して上達せん。『近思録』240

 聖人や賢人の多くの教えは、世の人々が放慢になった心をひきしめ、その身にたち戻らせるようにして欲しいということである。放慢になった心を求めあてて向上できるようになれば、身近な学問をして、理想に達するであろう。240

 【コメント】論語憲問篇に「子曰く、天を怨まず、人を咎めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。」とあります。一足飛びに理想に達するのではなく、身近なことを一段一段と勉強して理想の境地に達すよう日々励みたいものです。

 頂点に達することも大事ですが、要は日々研鑚することこそ大事だと思います。『南洲翁遺訓』刊行の地・荘内では、人格向上を期すため素読会を頻繁に開催されているとのことです。

 素読をする人々が人格を高め、人々の範たりうる人間の姿を人々に知らしめることは素晴らしいことだと思います。ですから私の空手道教室では素読のすすめをしています。

 昨日から全国的に豪雪に会い大変な苦労を強いられています。荘内は豪雪になったのでしょうか。御苦労のことと存じます。事故等のないようにと願っています。

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『不動心』(第173回)

 限りなく神に近い人間になれる

 自然は、精神と肉体とを区別もつかぬほど混ぜ合わせてしまったわけではいから、精神が自分の領域をつくり上げ、それを支配するには何らさしつかえない。人には気づかれることなく神のような人間になることだって充分に可能なのである。このことを絶えず心に留めておくこと。同時に覚えておこう。弁証法や物理に熟達できなかったからといって、自由や自尊心や無私の気持ちや神の意志への柔順さまで、まったく得る見込みがないと自棄(やけ)をおこす理由は何一つないのだということを。

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