【KTF】小熊山古墳・築山古墳(石棺様)ファンクラブ【KTF】

大分市本神崎にある築山古墳と、杵築市狩宿にある小熊山古墳を愛し、卑弥呼の墓だと応援する人のためのサイトです。

大分県内の大型古墳の再調査を!!

2017-05-18 21:54:59 | 日記
大分県立図書館で借りた本を読みこんでいたため更新が遅れてしまいました。
結論から言いますと小熊山古墳・築山古墳の2古墳については、今後本格的な調査が行われるべきであると思います。
その理由は以下に示す通りです。

1.樫田氏の「邪馬台国発見! 魏志倭人伝完全解読」を読む限り、大分県の別府湾岸域に邪馬台国があった可能性は、著者自身が書いておられるように極めて高い(100%と言い切っても良いのではないかと個人的には思います)と思います。魏志倭人伝の描写はことごとく大分県で一致しているからです。

2.大分県内の古墳は、赤塚→小熊山→亀塚→築山という時系列的な流れがあります。この流れをさらに遡ると豊前の石塚山古墳に辿り着きますが、この辺り(豊前東北部)は外交の拠点と樫田氏が位置付けている地域で、ここから前方後円墳などの畿内文化が流入したと考えられます。
つまり、豊前→宇佐→杵築→大分平野…という流れで前方後円墳文化が流れ込んでいることになるので、この流れを考える限り、古墳の新旧はあまり重要ではなくなります。

3.日本の古墳は畿内の古墳の編年をもとに組み立てられていますが、樫田氏は、北部九州への畿内文化の流入は一段階遅れていたと主張されています。つまり、畿内の編年=九州の編年ではなく、ズレがあるということになります。

4.小熊山古墳の築造年代は300年前後とされていますが、レーダー調査で、内部は棺が2基あることが分かっています。
築山古墳も石棺が2基あります。これらの棺は、同時に亡くなったのでない限り、新旧があると考えなくてはならず、古墳内の埋葬物も新しくなる可能性があります。

例:埋葬者A(200年に埋葬)→→→埋葬者B(300年に埋葬)の場合、遺物には300年頃のものが流入します。
  考古学の原則では、新しいほうの年代が採用されるので、古墳の年代は新しくなります。

5.樫田氏は炭素14年代測定法に肯定的です。科学的な調査をとことん行うべきであると思います。

以上です。いずれにせよ、樫田氏の主張する邪馬台国=大分説・卑弥呼の墓=築山古墳・小熊山古墳説は、杵築市や大分市など関連する自治体に住む人々が積極的に拡散し、役所に働き掛けない限り、ただの珍説扱いのまま闇に埋もれてしまうことは間違いありません。
私自身も拡散はしていますが、周知されるには至っていません。大分県を愛する皆さんの自発的な働きかけを切に希望します。
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