㈱HIRO建築設計 オフィシャルブログ

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大工さん

2017-04-21 17:32:32 | 日記
先日ちょろっと親父の話をしましたが、私の親父は大工です。

とは言ってももう年も年なので引退したようなもんですが大工は大工でも最近の大工さんっていうのは時代とともに変わってきましたね。

その昔には左甚五郎っていう伝説の大工さんが居ました。江戸時代の話です。腕が良いことを妬まれて右腕を切り落とされた左利きの大工さん…だったとか。
いずれにしても伝説の人なので、その生誕については明らかではないようです。気になる人がいたら調べてみてください。

左甚五郎のような当時の大工さんは、どちらか言うと家を建てる、というよりか彫刻師のような人だったのでしょうか。

現在でいうと大工さん、というより「宮大工(みやだいく)」に近い存在だったのでしょう。日光の「見ざる・言わざる・聞かざる」なんていう有名な彫刻も左甚五郎だったと言われています。

時代は変わって親父の世代の大工っていうのは、一般的に棟梁(とうりょう)って言われました。

家の基本である棟(むね)と梁(はり)のように家づくりに重要なポジションであるとされ、全ての職人の頭である頭領の意味もあったと思います。昔は親父にも居ましたが、大体の棟梁には小間使いの弟子が居て「親方」って慕われる存在でした。

よく上棟式ともなると棟柱に「祝上棟」と書いた御札とその建物の棟梁の名前が記されました。家の屋根裏に自分の仕事の証が残る、ということがステータスだったようで、材木を加工するときに材木に下書き線を書くために使われた「墨壺(すみつぼ)」をこっそり屋根裏にわざと置き忘れたりした、なんていう粋な話もありました。

上棟式、って言えば当時のそれはもう一台行事でした。

うちは特に親父がそんな職業だったからか今でも上棟式っていうと何かテンションあがりますね。

今ではあまりできる人も居ないでしょうが鳶職人が木遣(きやり)という祝いの歌?を歌い、餅やお菓子を屋根上から撒き、木組みの下で職人たちには酒がふるまわれたりしました。

そんな上棟式の名残は今でも残っていますが、大分簡素化され、やっても簡単な神事と、ご祝儀(無い場合も多々)くらいでしょうか。

大工、という職業は今では私の弟が跡を継いでいます。

ただ、今では大工さん自体も家づくりの中心的存在…というより家づくりに関わる職人さんの一人くらいにしかカウントされず、中心的存在は今では現場監督…なのかな。

そんな役割の変化も寂しいかぎりですが、時代とともに職業の役割っていうのが変化していくことは品質を確保するためにも必要だし、やむを得ない事なのかもしれません。

我々設計者もだいぶ地位が落ちたように思います。設計者としてのプライド…そんな中でも何か仕事の証を残せるような粋なポジションでいたいものです。
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