ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大庄屋・大歳家(15) 大庄屋・大歳家公開④、勧善之堂(かんぜんのどう)

2017-04-18 10:31:28 | 大庄屋・大歳家

 上段の間の軸「勧善之堂」に注目ください。

    大庄屋・大歳吉左衛門

 江戸時代、加古川地方は、儒学(じゅがく)をはじめ学問のさかんな地域でした。

 まず、『播磨鑑(はりまかがみ)』の著者、平野庸脩(ひらのようしゅう)をあげることができます。

 また、郷里の人々の教育に心を注いだ人として、寺家町に清田藍卿(きよたらんけい)や志方町野尻(のじり)で玉田黙翁(たまだもくおう)は、学問所を開いていました。

    藩主より直筆の書「勧善之堂」を賜る

 新野辺(しのべ)では、寛政年間(1789~1801)に大庄屋の大歳吉左衛門は、当時の庄屋・梅谷氏と共に月に二・三度、村人を集めて読書・算術そして、人の生き方などを説きました。

 これに対して、大歳吉左衛門は藩主・酒井侯より「四郎三郎」の名前と、藩主直筆の「勧善之堂(かんぜんのどう)」という額などを賜っています。

 吉左衛門は、明和二年(1782)新野辺に生まれ、天保十二年(1841)五月、60才の生涯を終えています。

 法名は、勧善堂源進翁居士。(no3354)

 *写真:「上段の間」に飾られている藩主・酒井雅楽頭より賜った直筆の書「勧善之堂」(軸)

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