ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

美濃部達吉と天皇機関説(11) 美濃部達吉生家跡・いまは倉庫

2017-05-17 08:08:26 | 美濃部達吉と天皇機関説

      美濃部達吉生家跡・いまは倉庫

 達吉の生家は、現在は、倉庫(写真)になっています。

 達吉の生家の場所に倉庫の建設の話が持ち上がった時、保存運動はなかったようです。

     美濃部達吉生家跡説明の碑

 現在、生家跡の倉庫の側に御影石に次の説明が刻まれています。

 読んでみましょう。

          美濃部達吉生家跡

  明治憲法下で「天皇機関説」を唱えた憲法学者美濃部達吉博士は、明治6年(183757日、父秀芳(蘭方医、申義堂教授、第2代高砂町長)、母悦の次男として、ここ材木町の地で生まれた。

  達吉博士は、高砂小学校、小野中学校を経て兄俊吉とともに上京、東京帝国大学法科大学を卒業し、同大学教授を経て務めた。

  その間、東大における美濃部憲法学は、幾多の著名な憲法学者、行政法学者を輩出した。

  昭和23(1948)、東京で他界したが生前の著書等は、息子の亮吉氏(元、東京都知事、参議院議員)の蔵書とともに「美濃部親子文庫」に保存されている。

・・・・

  こんな説明もよいのですが、美濃部家の一部でも残しておいてほしかったですね。

  美濃部家を知るご近所の方もそのようにおっしゃっておられました。(no3586

 *写真:美濃部達吉生家跡に建つ倉庫

 

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