ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

美濃部達吉と天皇機関説(6) 美濃部秀芳(達吉の父)

2017-05-12 08:44:39 | 美濃部達吉と天皇機関説

       美濃部秀芳(達吉の父)

 秀芳は、天保元年(1841)高砂北本町で生まれています。妻は、現在の小野市古川町の儒医・井上謙斉の二女、悦といいました。

 秀芳のことについて、孫で元東京都知事の美濃部亮吉氏は自著『苦悶するデモクラシー』の中で次のように述べています。

 

 ・・・父(達吉)の両親は秀芳及び悦といった。

 秀芳は、医者ではあったが、あまりはやらず町内の子供達に習字や漢学を教えて、主としてその月謝でくらしていたということである。

 従って、その生活もあまりゆたかではなかったらしい。

 後の事であるが、父は兄俊吉と共に、東京に遊学し、一高及び東大で教育を受けた。

 その学資は、高砂の金持ちである岸本・伊藤・松本・松浦の四氏が共同で出資したということである。

 兄か弟のうち一人が出世したら、元利揃えて返却するという契約であり、兄弟共に期待以上に出世をし、元利揃えて返却したそうである。

 私(亮吉)の祖父(秀芳)は、家は豊かではなかったが、書及び漢書においては高砂有数の学者として尊敬されていた。

 いわば、高砂における最大のインテリの一人だったのだろう。

 後に、二代目の高砂町長に就任し、大いに公共事業に尽瘁(じんすい)した。

 悦という祖母(達吉の母)が又大へんな賢夫人だった。

並々ならぬ知識と教養を持ち、祖父に代って患者を診たり、書や漢学を教えたりした。

 達吉さんがあんなにえらくなったのは、悦さんのおかげということに高砂では意見が一致していたということである。

    酒好のDNA

 祖父(秀芳)は、大へんに酒が好きであった。もっとも酒に乱れることはなかったけれども、いつでも酒を手元において、番茶代わりに飲むという風であったらしい。

 父(達吉)が酒が好きだったのは、この祖父の遺伝らしい。

 祖父は碁も好きであったということである。父が初段の腕前をもっていたのも、やはり祖父の遺伝なのだろう。・・・(no3581)

 *『みなとまち高砂の偉人たち』(吉田登著)参照

 *写真:美濃部秀芳(達吉の父)

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