ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川を歩く(35):舟運(3)・阿江与助(2)

2008-06-05 09:11:07 |  ・加古川市五ヶ井用水を歩く

Kakogawawoyuku_072  加古川を闘竜灘(加東市滝野町)までさかのぼると、岩が川底からせり上がっている。

 昔は、現在よりも水量が多かった。

 この闘竜灘が、写真のように開さくされたのは明治六年になってからである。

 この工事は、生野の鉱山からの技術者を招いたという。

 それ以前の闘竜灘の水は、この岩の上を流れていた。

 雨季の今頃の流れは、まさに豪快な風景をつくっていたことであろう。

 この闘竜灘の岩石により、ここを上下する高瀬舟は航行を妨げられた。

 闘竜灘では、積荷はいったん陸上げされ、上下の船に積みかえをした。

 岩場は闘竜灘だけではない。川底の岩場は、加古川の各所にあった。

 さて、阿江与助であるが、滝野から大門(加東市大門)までの数ヶ所の岩を切りのぞき、難所を浚せつし舟運を可能にした。

 大門より下流は砂部村(加古川市)の彦兵衛等により開さくされたが、後日に説明したい。

 また、闘滝灘より上流の本郷(丹波市氷上町本郷)までを西村伝入と共に開削にあたった。

 阿江与助は、加古川の舟運に大きな役割を果した。

 与助は、滝野の人であり、伝入は田高村(たこうむら:多可郡)の出身であった。

 

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