ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

江戸時代、高砂の商業活動(8) (舟運3)舟運は、九月の彼岸から 翌年の八十八夜まで

2017-07-01 09:55:14 | 江戸時代、高砂の商業活動

   余話:舟運は、九月の彼岸から

          翌年の八十八夜まで

  舟運について余話を紹介しましょう。

 加古川は、農業用水の水源でもあったのです。

 川の水は、水田の水でもありました。

 そのため、田畑に水を必要とする期間は加古川の各所に堰がつくられ、高瀬舟の運行はできませんでした。

 高瀬舟の運行は、九月の彼岸から翌年五月の八十八夜までと限られていました。

 この間、堰は壊されました。

 さて、高瀬舟ですが、滝野から高砂まで約37キロ、朝四時ごろに出発すると、4~5時間で高砂に着きました。

 下りは、水流にのって行くのですから、危険はあったものの、ひかく的楽な船便でした。

 帰りが、大変です。

 帰りは流を逆行するのですから、船頭は先頭に座り、艫乗り(とものり)は、最後尾にいて、船頭の支持どおりに櫓を操りました。

 中乗りは「かい」を使って船を進めました。

 早瀬となると、容易に前に進んでくれません。

 こんな時は、船頭が船に残り他の二人は河原にあがって引綱をひっぱるのである。

 苦しいどころの騒ぎではなかった。

 この姿が「さる」に似ているので、船を引く船子は「さる」と呼ばれました。

 船子のかけ声が、「さる」のホー・ホーという鳴き声に似ていたからともいわれています。(no3637

  *絵:蓬莱家(加東市大門)所蔵

 『KAKOGAWA-加古川とその周辺の歴史-』(伊賀なほゑ著)参照

  *きのう(6/30)の散歩(13.011歩)

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