ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(13) 縄文時代(1)・日笠山貝塚の発見

2017-10-18 09:09:12 | お爺さんが語る郷土の歴史

       縄文時代(1) 日笠山貝塚の発見

 浜国道(国道250線)で高砂市曽根町の中心部を西に抜け、天川を渡ったところに小さな台地があります。

 高さ約60㍍の日笠山を中心に伸びる台地で、日笠山貝塚は、この台地の南端にあります。

 古くから貝殻山と言われていながら、この日笠山貝塚の研究は、昭和37年までおこなわれていませんでした。

 それから4年をかけての調査の中で、遺跡の実態が明らかとなりました。

 この貝塚には、多くの謎がありました。

 形成された時期は、縄文時代前期(約7000年前)から晩期(2500年前)まで、ざっと,5000年間に及んでいます。

 ところが、貝塚の広さは長さ約40㍍しかなく、期間に比べて規模が極端に小さいのです。

 さらに魚の骨、石のオモリ、ヤスなどの漁具類がほとんど出土していません。

     美味で大型の貝を採る

 昭和43年に高砂市教委が刊行した『日笠山貝塚、第二・三次発掘調査報告書』によると、出土した貝殻はハマグリ、ハイガイ、イシダタミ、マガキなど23種類。

 このうちハマグリが50%、マガキ、ハイガイがそれぞれ10%。これらの貝殻の大きさが問題でした。

 ハマグリの場合、殻長が9㌢前後のものが多く、小さくても5㌢前後。ハイガイ、マガキも大粒ぞろいです。

 しかも、前期から晩期まで各時期を通じて、大型の貝殻がそろっています。

 出土する貝の分析した研究者は、「まことにけっこうなお食事だ」と表現しています。

いちばん大量に生産され、採りやすかったと考えられるアサリがほとんど含まれていないのです。

 日笠山縄文人はマガキ、ハマグリ、さらには珍味の別称を持つハイガイなどを選んで採り、貝類に関しては私たちの手の届かないようなぜいたくをしていたようです。(no3751)

 *『兵庫探検(歴史風土編)』(神戸新聞社)参照

 *写真:日笠山貝塚跡

 ◇きのう(10/17)の散歩(11.729歩)

 

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