ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

四季の草花(1) 福田寺のユリ

2017-08-13 12:41:53 | 四季の草花

福田寺(ふくでんじ)のユリ(1)

 散歩中に見つけた「四季の草花」を歴史から始はじめます。

 『日本書紀』応神天皇13年の条に、次のような話があります。

 ・・・天皇が淡路島に狩に出かけた時に、多くの鹿が「鹿子水門(かこのみなと)」に入るのを見たので、調べてみると、日向(宮崎)の豪族の娘(髪長媛-かみながひめ-)が都に仕えるために東上するための一行だった。

 彼らが鹿皮の衣を着ていたので、鹿と見あやまったのだった・・・

 これは、地名説話ですが、九州と畿内を結ぶ瀬戸内海の泊()のひとつに、「鹿子水門(かこのみなと)」があったことを物語っています。

 古代には河口が港として利用される場合が多かったが、航海に必要な水や食料も得やすかったし、それに、木造船に穴をあけるフナ虫の害を少しでも少なくするためだったのでしょう。

 また、加古川の河口は内陸部と結ぶ重要な拠点でした。

 「鹿子水門」がどこにあったかは、明らかではないが、加古川東岸は西岸と比べ若干土地が高く、加古川の流れは西岸より安定していました。

 古い古墳も東岸に集中しています。そんなことを総合して考えると、現在の稲屋(加古川市加古川町)辺りが、「鹿子水門」であろうと考えられています。

 現在の稲屋は、やや内陸部になっていますが、当時はこの辺りまで海が迫っていたと思われます。

  この稲屋に曹洞宗の福田寺があります。

 散歩中にみつけました。今、福田寺の境内にユリが見事に咲いています。(次回も福田寺のユリの話を続けます)(no3687)

 *『加古の流れ(市史余話)』『加古川市史(一巻)」

 *写真:福田寺とユリ

 ◇きのう(8/12)の散歩(10.526歩)

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