ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

地域(加印)の風を読む(38) 加古川市と別府町との合併の経過②

2017-03-13 07:59:17 | 地域の風を読む

   加古川市と別府町との合併の経過②

 「世論調査の投票」(拘束力を持たない)の結果は、別府町と加古川町の合併は反対となりました。

 事態は、加古川市制実施予定の(昭和25年)6月1日に向けて、ますますの緊迫してきました。

 そのため、今度は拘束力のある「決戦投票」の結果にゆだねることにしました。投票は、昭和25年5月6日に実施され、結果は、加古川町との合併賛成:1250 票、合併反対:1164 票で、結果は、加古川町との合併が賛成が反対を上回ったものの、その差はわずかに86票でした。

    土山駅前問題(阿閇村も加古川市との合併を拒否)

 このようなもたつきの中で、今度は阿閇村(現:播磨町)では「土山駅前問題」が発生しました。

 土山駅前は、加古川町・阿閇村・魚住村・二見村が入り組んでいます。

 その内、阿閇村に属している土山駅前商店街が、加古川町への合併を強力に推し進めようとしたのです。

 阿閇村は、村内がまとまらなくなり、合併の是非を問う住民投票を実施しました。

 結果は、 現状維持:2548票、合併賛成:1502票で、はっきりと加古川町との合併を拒否したのです。

     別府町、加古川市との合併なる

 こうした情勢の中で、突然の転機が訪れました。

 別府町は、かねてから国や県に別府港の改修を陳情していました。それが認められたのです。

 しかし、総工費は3億円と見積もられました。その内、地元負担は、2割5分です。つまり、別府町の負担は、7500万円でしたが、別府町単独としては至難の事業でした。

 この時、加古川市から別府町に「・・・地方発展のため税外収入の道を計り、極力協力したい・・・」との申し出がありました。

 この「別府港改修問題」をきっかけに、別府町と加古川市との合併問題は急展開となりました。

 かくて、別府町は、加古郡の他の町村に遅れること1年余、昭和26年(1951)10月1日加古川市と合併となりました。(no3507)

 *写真:別府町解散式(提供:加古川市)

 

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