ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

地域(加印)の風を読む(9) 孝橋繁広・赤松氏則城主説は後世の伝承か?

2017-02-12 10:25:21 | 地域の風を読む

    石田善人教授の説 

 中道山子山城の築城者といわれている孝橋新五郎繁広と赤松氏則のふたりを紹介しました。

 中世史を専門とされていた元神戸大学の石田善人教授(故人)は、この二人について『加古川市史(第二巻)』(p24)で、次のように書いておられます。

 「・・・・志方町の天神山城(志方町西飯坂)と中道子山城と築いたのは赤松氏則だという伝承がある。

 『播磨鑑』(はりまかがみ)によれば天神山城は、氏則父子の滅亡後は櫛橋(くしはし)氏が城主になったという。

 中道子山城の方はさらに不確かで、赤松氏則あるいは孝橋繁広(素性は諸説あってはっきりしない)が城主だったという。

 いずれも後世の伝承に過ぎないのだが、もしそれが何らかの事実を反映しているとすれば、円心の末子氏則も五箇荘(ごかのしょう)の分与にあずかっていた可能性があることになる

 *五箇荘は、もと平氏に与えられた東播磨の大荘園

   孝橋繁広・赤松氏則城主説は後世の伝承か?

 兵庫県の中世史に興味のある方にとって石田先生は神様のような方です。

 亡くなられる少し前に兵庫教育大学の近くの喫茶店でお話をさせていただきました。

 親切な方で、いっぱいお話をしていただきました。その博識にびっくりした思い出があります。

 石田先生に、「この二人は、後世の伝承に過ぎない」ときっぱりと断言されると、その先に進めません。

 天国から苦笑されておられるかもしれませんが、いま歴史の残欠をひろい集めて中道子山城(城山)の話を続けます。(no3478)

  *図:中道子山城跡復元図:中道子山城発掘調査報告書より


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