ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

瀧瓢水物語(2) 芭蕉の系列

2016-10-01 07:56:21 | 瀧瓢水物語

   瓢水の生涯(1) 芭蕉の系列

 江戸時代(元禄時代)、日本全国を驚かせたのは、赤穂浪士の仇討ちです。

 元禄15年(1702)のことでした。

 この時、瓢水は19歳で最も多感な青年でした。

 「元禄時代」は、平和を謳歌した時代です。

 商業の時代でもあり、風潮は、「武」は衰え「文」に流される時代となりました。

 そんな時代にあって、赤穂浪士の事件は、「武が残っていた」として当時の人々は、大いに拍手を送りました。

 元禄時代は、武士をやめ、町人になった人も多くいました。

 特に、この時代大坂町人であった井原西鶴は、当時の世相をありのままに小説にえがきました。

 武士の出身であった近松門左衛門は、義理人情の世界を人形浄瑠璃に描きました。その他、歌舞伎なども盛んになりました。

 瓢水もこの時代の空気をいっぱい吸って成長した人でした。

 俳句の世界では、伊賀の上野に生まれた松尾芭蕉が活躍がありました。

 瓢水の俳句は、松尾芭蕉→宝井其角(たからいきかく)→松木淡々(まつきたんたん)の流れの中に位置づけられています。

 淡々は、江戸で俳諧を芭蕉・其角に学びのちに、京都・大坂で活躍し、宝暦11年(1761)、大坂で、その生涯と閉じています。

 次の俳句は、松木淡々の作品です。

    梅の花 答えて云く 梅の花(松木淡々)

 瓢水の句を一句紹介しましょう。

    蔵売って 日あたりのよき 牡丹かな(瀧瓢水)

 二人の作品は、どことなく似た作風だと思われませんでしょうか。(no3351

 *絵画:芭蕉が「おくのほそ道」を執筆している間の元禄6年(1693)春に門弟が描いたもの。芭蕉存命中の作品であることから、「おくのほそ道」の旅姿が忠実に描かれ、芭蕉の晩年の顔立ちもこれに近いものだったと推測されます。

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