ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

江戸時代、高砂の商業活動(33) 申義堂(8)・申義堂が西井ノ口(加古川市)にあった理由①

2017-07-27 07:51:12 | 江戸時代、高砂の商業活動

      申義堂が西井ノ口(加古川市)にあった理由

  西井ノ口(東神吉町)の柴田育克(しばたいくよし)さんの研究による『なぜ、申義堂の建物が西井ノ口にあったのか』(写真)という冊子をいただきました。

  知っていただきたい内容が満載です。

 内容は、「申義堂について」『高砂市史(第二巻)』が「申義堂のその後」と簡単に書いているその部分です。

 なお、冊子『なぜ、申義堂の建物が西井口にあったのか』に沿って、市史を補うことにします。

     長谷川亀次郎

 明治時代、東神吉町井ノ口には、日本の教育史に残るような立派な学校がありました。

 この学校の建設に関わったのは西井ノ口の長谷川亀次郎氏でした。
 長谷川亀次郎氏と申義堂がかかわりを持ってきます。
 ここでは、名前の紹介だけにしておきますが、亀次郎氏のご子孫の方が『長谷川亀次郎を偲ぶ』として冊子にまとめておられます。
 とりあえず、この二冊を中心に、申義堂のその後・西井ノ口あった学校・長谷川亀次郎氏のことを紹介しましょう。(no3664)

  *写真:冊子『なぜ、申義堂の建物が西井ノ口にあったのか』

 ◇きのう(7/26)の散歩(10.581歩)

 

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