昭和47年9月には加古川産業会館にジャスコとエーコープ兵庫が開店し、翌48年6月には加古川ニッケビルにダイエー加古川店が開店ました。
相次ぐ大型店の進出で、既存の商店街などは大きな影響を受けることになり、されに、灘神戸生協の市内進出などが続きました。
このような大型店の進出の動向については、議会では少し前から、懸念が示されていたことが現実のものとなってきました。
中小企業振興策を
このような状況の中、次のような中小商工業者に対する施策の充実を求める声が発っせられています。
・・・いまや当市中小商工業者は、外部より打寄せる各種大規模なる企業の進出に対し、その競争力に乏しく、日を追って圧迫侵食されていくことは、強者弱肉を食む資本競争の中において、火を見るより明らかな事実であり、このときにこそ当市の中小商工業者を強く擁護する施策を取り、中小企業育成振輿策について思い切った英断と実行をこいねがうものであります。(昭和45年3月17日、本会議)
昭和46年には産業会館へのジャスコの進出が具体化し、翌47年2月には地元商店街との共存共栄の視点から地元の同意が決められました。
議会では市の商業振興策について次のように厳しい批判的意見が出されました。
商業振輿対策のおくれ
・・・元消防署跡に、建設中のビル完成後は某大型スーパーが進出し、大々的に営業を始めるのだ、と聞いております。
市民にとりまして、大きなスーパーがくるということは、まことに喜ばしいことであります。
が、しかし一方において、赤字財政が原因で、他都市に比べてその公共的投資事業が格段に低かったこの加古川で、何代も前から居住し、そして町の発展を願い、市長の政治的配慮を心から期待し、待ち続けてきた駅前通り寺家町商店街の人々の将来について、市長は真剣にお考えになられたことがおありでしょうか。
当局が、この間題に関して、ものの見方、考え方、取組む姿勢に間違いがあると断言せざるを得ません。
市当局がもっと早く、この商業振輿対策間題に真剣に取組み、公共事業の投資をしておれば、現在のようなさびれは決してなかった、と考えられます。・・・(昭和47年3月16日本会議)
これに対して市長は「当市の商業の状況は、たしかに遅れておる、という
ことを、われわれも実感しております」(同上)と取り組みの遅れを認めています。(no3612)
*『加古川市議会史(記述編)』参照
*写真:寺家町商店街の賑わい(昭和45年撮影)