言葉の散歩 ~歌舞伎・能・本・クラシック好きなあなたとご一緒に

日本の伝統文化や歴史、音楽、また人生を豊かに彩る様々を話題に、ちょっとおしゃべりさせていただきます。

削除できない録画 「映画 中村勘三郎」(1)  

2017年03月20日 | 歌舞伎など
テレビの録画の整理はまめにする方です。
一度見たら、あるいは残しておこうと思っても二、三度見ると気が済んで、削除する場合が多いのですが、何度見ても消せないものがあります。その一つが、「映画 中村勘三郎」です。

この映画は、舞台での演技そのものを映すのではなく、彼の稽古や楽屋での様子、また取材・会見での言葉などから、歌舞伎役者としての生き様を、亡くなった後も永く残そうと作られたことが伝わってきます。

例えば、前名・勘九郎として最後になる、ニューヨーク公演に向けての会見の、
「歌舞伎役者っていうのは、今生きてたい。ただの飾りになりたくないから。」

愛媛県内子座『身替座禅』で場内がとても盛り上がった後の楽屋での、
「だからさ、気をつけないと。本当にこう、何でも反応してくれるでしょ。だからさ、どこまでもやったらさ、反応がいいからね、それに甘えていっちゃうと、芸が荒れていく。」

『仮名手本忠臣蔵』で、後輩の役者さんのセリフへの厳しい注意の中で、
「長谷川伸じゃないんだよ。」
と言い、自分でやって見せる様子。

義太夫の太夫(三味線ではなく、語る人)に要望を伝える際の、演技をやって見せながら、間の取り方、語り方を、言葉ではない言葉で示す様子。

このような場面を見ていると、勘三郎さんが歌舞伎というものを明確に分かっている・・・いいえ、彼自身が歌舞伎であると思ってしまいます。
野田秀樹版『研辰の討たれ』を見た時に、「これは完全に歌舞伎だ。」と感じることができたのも、勘三郎さんが演じたという要素が大きかったのではないかと思います。

また例えば勘三郎襲名公演の楽屋に、歴代の付き人さん達が集まって訪ねてきた時の、
「嬉しいよ。何かとても嬉しい。」
と涙ぐむ様子。

難聴で舞台を休んでいた七か月後、まだ不完全な体調ながらも復帰することになった、松本市「まつもと市民芸術館」に本番前日に入ってきた時、壁に何枚もの大きな模造紙が貼られていて、本当にたくさんの人々からの歓迎のメッセージが書かれているのを見て、嗚咽し涙ぐむ勘三郎さん。

何度も見て、ここでこうなるとわかっているのに、涙が出てしまいます。
男女問わず、本当に多くの人が、勘三郎さんの「感じる心」「情」という部分でも魅了されていた事がわかるように思います。


次回に続きます。


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