言葉の散歩 【歌舞伎・能・クラシック等を巡って】

日本の伝統芸能や音楽を中心に、感じたことを書かせていただきます。

古い切り抜き 『役者の手紙』    ・・・ 渡辺保さんと坂東三津五郎さん

2017年06月16日 | 歌舞伎・能など
演劇評論家の渡辺保さんが今春出された『戦後歌舞伎の精神史』(講談社)を読み始めました。
時間を作るのが下手な上に遅読、且つ頁を繰れば繰るほど漏らさず読みたいという気持ちが強くなり、読了するまでには相当かかりそうです。


22年前の新聞の切り抜きがあります。
その時から今までに二度転居し、悔いることもしばしばあるほど断捨離をしてしまったのですが、これは捨てられませんでした。
日本経済新聞の夕刊に今もあるコーナーで、6人の著名人が曜日ごとに、つまり週に一回、半年に渡り執筆する「プロムナード」という随筆欄です。

1995年6月22日(木)、執筆は渡辺保さんで、『役者の手紙』という題。
それは、こんな風に始まります。

「八十助から手紙が来た。今月、私が新聞に書いた国立劇場の八十助の「河内山」の劇評についてのもので、謙虚さと熱情に溢れたいい手紙である。」

「八十助」は、2015年に亡くなった十代目坂東三津五郎さんのことです。

無駄のない渡辺さんの文章、略しては申し訳なく思いますが、あらすじを追わせていただきます。

渡辺さんに「やり方が間違っている。」と書かれた、(当時の)八十助さんの演じた河内山宗俊という役、演じ方には、九代目団十郎流と初代吉右衛門流の二つがあると、渡辺さんは説明します。
簡単に言ってしまうと、前者は渋いハラ芸、後者は派手で一般受けしやすいもの。

八十助さんからの手紙には

自分の芸風は前者にあっていると思うものの、教わる人がいなくて、やむなく吉右衛門流を学んだこと、
また初役で失敗すると再演の機会が与えられなくなるので、観客に受ける必要もあること、
そして
「この頃自分でも疑問を感じて少しやり方を変えている。
 もう一度見に来てくれないか。」

と書いてありました。
渡辺さんは「すぐ見に行った。」とあります。

そして、せりふの言い方が二か所変わっていること、またそう演じた八十助さんの意図も理解します。

「しかし全体的には前よりもつまらなくなった。
つまらなくなったのは、八十助が俗受けを嫌って難しくとも必死で自分の正しいと思ったやり方に辛抱しているからである。
この辛さ、苦しさは、恐らく本人にしか本当には分からないだろう。」
と述べ、さらに
「しかしつまらなさの向こうに河内山はこうあるべきという目標がはっきり見えている。
(略)
面白い河内山はいくらでもいる。
しかし正しい目標が見える河内山はいない。
(略)
正しいものでなければ真の感動が得られないことも事実である。
今面白がられるか、十年先に絶賛されるか。
ここが我慢の仕所である。」

そして最後は次のような文章で結ばれています。

「劇場を出て梅雨の晴れ間の陽光をあびながら、八十助に、何時までもこの正しく辛い道を歩いてもらいたいと思った。
いつかは必ず燦々たる日が当たる。
お互い、その日のために生きているのではないのか。」


役に対して真摯に取り組み、それに対して良い評価をしなかった劇評家に、再度見てほしいと手紙を書いた八十助さん。
その依頼にすぐに応じ、工夫を理解しつつも安易に迎合しない、けれども八十助さんの将来、歌舞伎の将来に熱い思いを寄せる渡辺さん。
このお二人に、私はとても大きな感銘を受けました。

戦後の歌舞伎。
22年の間に、三津五郎を襲名し、歌舞伎界を支える存在として活躍し、59歳という若さで亡くなってしまった八十助さん。
そして私が触れる機会のあった時期、全然見られなかった時期、現在の歌舞伎。

渡辺さんはどのように捉えているのか。
今後歌舞伎はどうあるべきと考えているのか。
知りたくてたまらない気持ちで、頁をめくっています。



人気ブログランキング






『演劇』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« あさイチ・市川海老蔵さんの... | トップ | 力がぶつかるところ   ・... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL