言葉の散歩 【歌舞伎・能・クラシック等を巡って】

日本の伝統芸能や音楽を中心に、感じたことを書かせていただきます。

月イチ歌舞伎で、勘三郎・三津五郎の「らくだ」と、勘三郎・勘九郎・七之助の「連獅子」を観ました

2017年05月15日 | 月イチ歌舞伎
歌舞伎を映画で楽しめる月イチ歌舞伎、五月に始まる10か月、月に一つ(今回のように二つの時も)ずつ舞台の映像を観ることができます。
少しずつ新作が加わったり再上映があったりで、毎年演目は変化していきます。

今年の新シリーズの一番目は5月16日(土)~19日(金)の「連獅子/らくだ」です。


最初の「らくだ」。
今期、また来年度以降の再上映でご覧になる方があると思いますので、すじなどは控えさせていただこうと思います。

ほんの少し感じたことを書かせていただくと、勘三郎さんから発せられる喜劇性が、歌舞伎の表面張力の限界を超えそうになると、三津五郎さんがきっちり演じて抑制を効かせ、でもまた思わぬところで可笑しくてたまらなくなり・・・。
そんなお芝居でした。
この二人の組み合わせならではと思ってしまう私は、とても楽しみ、且つ悲しくなりました。


勘三郎さんと、勘九郎さん・七之助さんの、親子による「連獅子」。
前半は狂言師として、清涼山(文殊菩薩の霊山)にかかる石橋(しゃっきょう)の様や、「獅子の子落とし(※1)」の様子を演じます。
後半は菩薩の使いである獅子としての踊りです。毛振りのシーンはテレビなどにもよく登場します。


とてもとても乱暴ですが、踊りは、美しい形(点)と、それをつなぐ動き(線)で成り立っていると言えると思います。
もしその「点」が弓の的だとすると、勘三郎さんの踊りは、矢が、的のまさに中心を射ているように私は感じます。
「線」は時に激しく、時に緩やかに、あるいは絶妙の配分で流れ、そしてあるべきところに、鋭く、ひたと納まる。
この演目を見ていて、特にそれを強く感じました。


実際に舞台で見るのと映像で見るのとでは、もちろんそれぞれに長所短所がありますが、様々な場所や角度から役者さんを見ることが出来るのは、映像の利点の一つだと思います。

前半の狂言師としての踊りの時に、勘三郎さん・勘九郎さん・七之助さん三人での激しい動きがあり、その直後、勘三郎さんだけは本舞台に残り(子獅子を心配する親獅子)、勘九郎さん・七之助さん二人は花道で座している(谷底に落とされた子獅子が、木陰で動かずにいる)というところがあります。

花道に静かに端正な姿で座る二人。
けれども二人を正面からも後ろからも映すことによって、肩と背中が上下しているのがはっきりとわかります。

私はこれを見て、2年前の別の演目の月イチ歌舞伎で、特別にその日だけ解説してくださった葛西聖司さん(元NHKアナウンサー)の、次のようなお話を思い出しました。


〈 よく踊りはいい運動になるとおっしゃる方がありますが、歌舞伎の舞踊については当てはまらないのです。
激しい動きが続いた後、何事もなかったようにすっとした顔で静止しなくてはいけない。
ハアハア苦しそうにしてはいけないし、口を開けて呼吸してもいけない。
場合によっては呼吸を止めなくてはならないこともある。
つまり有酸素運動になってないんですよ。
むしろ体に負担になっているんじゃないかと思ったりします。〉

毛振りの方は、動きが大きく、大変さが一見してわかります。
また視覚面に加え、三人が勇ましく拍子を踏むことで、聴覚的にも激しさが伝わってきます。
それに比べ前半は、後から思い出すと厳かな印象になってしまいがちでした。
またもし実際の舞台でしたら、この狂言師の場面、本舞台に残った勘三郎さんだけに視線が行ってしまったと思います。
この前半の激しい動きと、役者さんが見せないようにしている苦しい息を、映像によって改めて認識することができて、私としてははっとするものがあり、歌舞伎を愛好する気持ちも強まるように思いました。


特に「らくだ」は、予備知識は必要なく楽しめる演目だと思います。
迷っている方がいらっしゃったら、お奨めしたい月イチ歌舞伎でした。


※1 獅子は、子獅子をわざと深い谷に落とし、這い上がってきたものだけを育てるという伝説。



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