佐賀 吉野ヶ里遺跡(熊本大地震復興支援マッチ 熊本vs金沢戦の前に)

2016-10-18 18:00:28 | 
え~なんというか・・・書いたつもりでいたブログが実際には書いていなかったというショックからいまだ立ち直っていません(笑)
ある方に指摘されて気が付きました。

6月8日に「熊本大地震復興支援マッチ(熊本vs金沢)」がありました。
そのことは6月10日のブログに書きました。
その試合の朝、福岡の大宰府天満宮に行ったことも6月23日のブログに書きました。
その6月23日のブログの中で、次は「佐賀 吉野ヶ里遺跡」に続きます・・・と確かに書いているんですね。
それから4ヶ月近くたった訳ですが「いつアップするんですか?」と聞かれて「ハッ!」としまして、探してみたけれどありません(笑)
ないわけです、書いていませんでした。
「はぁぁぁぁあ」・・・。
落ち込みました。
私の中ではいつの間にか書いたつもりで「完結」していたんです(笑)
まさか、そんな笑い話のようなことがあるとは・・・。

ということで、かなりブランクがありましたが「佐賀 吉野ヶ里遺跡」の始まりです。
時は6月8日、試合当日。
福岡の大宰府天満宮から「佐賀 吉野ヶ里遺跡」へ移動しました。
12時過ぎに到着です。
駐車場はすいていました。


気温は高く暑い。


一般の客は私たちを入れて10人程度でしたが、近くの小学生が先生に連れられて30人ほど見学にきていました。
遺跡を実際に目で見たり体験できるのは恵まれていますね。


大人 1人420円という値段はすごく安いと思います。


マスコットキャラクター(兄)「ひみか」
平成10年に全国よりマスコットキャラクターを募集しました。
マスコットキャラクター(兄)「ひみか」くんです。
もう一人、妹の「やよい」がいます。


「南内郭」
入り口を入って遠く右手に見えるのが「南内郭」です。
吉野ヶ里の支配者層が生活をしていた場所と考えられています。
物見櫓4棟、竪穴住居11棟の他、集会の館や煮炊き屋など、合わせて20棟の建物が復元されています。


「逆茂木・乱杭」
先を尖らせた杭や鋭い枝の付いた木を斜めにたくさん立てて、敵の侵入を防ぐバリケードの役割をはたしていたと考えられています。




イノシシの親子も出迎えてくれました(笑)


「物見櫓」
南内郭には4棟の大きな高床建物があります。
これらは環壕の張り出した部分に対応するように建てられており、兵士が南内郭への侵入者を厳重に見張っていたと考えられています。



「支配者層の住まい」
中央の広場を取り囲むようにたくさんの竪穴住居が建てられています。
これらは様々な役割を担う支配者層の住まいであったと考えられています。


中に入ってみます。


腰をかがまないと入れません。
高さは1mくらいでしょうか。


外の暑さに比べて中は少しひんやりしていました。



南内郭の北西部には柵などによって囲まれた特別な空間があります。
ここにある竪穴住居は王の家をはじめ、その娘夫婦の家や妻の家であったと考えられています。


剣と盾です。
これで敵と戦っていたのでしょうか。
この時代にタイムスリップ。
ちょっと変身してみました。


吉野ヶ里遺跡からは絹および麻が出土しています。
服装は首を入れて腰で結ぶという簡単なものです。


物見櫓に上がってみました。
北内郭が見えます。
遠くに見えますが歩きましょう(笑)


移動中に見つけた花です。


「オカトラノオ」                                            


「北内郭」
北内郭に到着しました。


案内してくれたのは韓国の方でしょうか、大変日本語が上手な若い女性でした。


「主祭殿」
当時のまつりごとに大きく関わる人がいたとされる巨大な祭殿など9棟の建物が復元されています。


「主祭殿2階」
吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラの長が集まっています。

吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって最も重要な場所であったと考えられています。
田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごとのお祭りの日を決めたり、また大きな「市」を開く日取りを決める場所であったようです。


「主祭殿3階」
祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っています。
この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられます。


最後に「北墳丘墓 ~歴代の王の墓~」に向かいます。
「祀堂」
墳丘墓に眠る祖先の霊に毎日お供え物を捧げ、お祈りをするための施設と考えられています。



「北墳丘墓保存館」


吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられています。
このお墓は人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっています。


中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもありました。
このお墓は弥生時代の中頃、紀元前1世紀のものですが、その後はお墓としては使われなくなり、その代わり祖先の霊が眠る場所として人々から大切にされていたようです。


この公園は広く、一日かけてゆっくり回りたい場所です。


行っていないところがたくさんありますし、「銅鐸を鳴らしてみる」「土器などに触れてみる」などの体験もできます。


その他、子どもから大人まで大人気の「火おこし」「土笛づくり」「勾玉づくり」の ものづくり体験もできます。


まだまだゆっくり見たかったのですが、この日の夕方の試合時間の関係で早目に引き上げました。

                           
次は唐津城・宝当神社・伊万里焼きに続きます。























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