近藤氏によるコース整備は毎週進んでいて、3月3日には余呉エリアの開拓・整備も始まっている。
3月3日には柳ケ瀬から新谷山までのアクセスルートの確定、行市山から倉坂峠までのルートは行市山手前に広がる藪の整備が行われている。
そして、3月21日から23日の間に一気呵成に余呉ルートを終わらせよう、と招集が入るが、お彼岸や他の所用で最終の23日の参加となってしまった。
22日までに柳ヶ瀬ー柳ヶ瀬山-行市山ー三方ヶ岳の藪等の整備は終わっている。(いつものメンバー+余呉トレイルクラブの方、加えて丹羽薫さん!!)
で、
本日23日。近藤氏、Uさん、M氏、私。(以下、近藤氏撮影)
国道8号線を敦賀に越えた新道野にある民芸茶屋 孫兵衛(お蕎麦やさん)で、孫兵衛さん所有の山林に入る許可を頂き、林道を進んだところに車をデポして作業開始。
林道から尾根に取付き、
刈り払い、後処理を続けながら尾根を進んでいく。
尾根に入ると倒木も出てきてチェーンソー、のこぎりで除去。
熊手でコースをつけながら
孫持山を過ぎ
三方ヶ岳に続く分岐に出ると、なんと笹が刈払された立派なトレイルが出現。???。
近藤氏に情報では関電の点検路のよう・・・
作業はここで終了し、マーキングとトリミングしながら一度下山。
下山途中の杉斜面では自然の摂理。
孫兵衛さんで遅い昼食。とろろ蕎麦、旨い。
おやつまで頂く。
往復5.66km 531mD+
さて、この孫兵衛さん。大変歴史的なところでした。
秀吉の時代に初代西村孫兵衛氏がここ新道野の峠道に問屋を置いて物流の中継地としたのが始まりで、以降代々の西村孫兵衛さんが継いで現在に至っているそうです。お店の中には何と松尾芭蕉の「奥の細道」の清書本が 展示してあり、国の重要文化財に指定されていました。
休憩後、高島トレイルから深坂峠に抜けてここ新道野に降りてくるルート確定で調査開始。
深坂峠に入る古道の入り口に駐車しスタート。
現在の国道8号線の「新道野越え」が開通するまでは「深坂越え」が敦賀に抜けるルートで、途中に鞍掛問屋を置かれていたそうですが、「新道野越え」が開拓されて以降、沓掛問屋は廃れてしまったようです。
途中に石板。
この先に深坂地蔵というお地蔵さんがありました。
その昔、平清盛が真剣に近江・塩津から越前・敦賀を結ぶ運河を計画し、清盛の長男、重盛が塩津側から掘削を始めたが、峠付近にさしかかった時、大きな岩に突き当たり、石工が岩を割ろうとクサビを打ち込むと、突然石工は腹痛を訴えて倒れこんでしまい、別の石工も同じように腹痛がおこり、工事は中断を余儀なくされたそうです。この岩を掘り起こすと、何と立派なお地蔵様があったの「これはただ事ではない!」ということで、運河計画は中止、お地蔵様を安置し、これが、「深坂地蔵」の言い伝えとなり、現在では子供の守り神として、お参りされているそうです。
お堂を覗くと・・
お地蔵さんの立派な施設で休憩し、古道を進んで深坂峠に到着。
さて、この峠。
高島トレイルから登り返して県境を進むルートはこの峠の左から降りてくる。近藤氏はこの古道を下って8号線に出て国道を進んで新道野に至る目論みをしてましたが、今一つスッキリしないな、思案。
右に見ると何やら林道が切られている。これはもしかしたら、とゼーゼー登っていくと、疋田が見下ろせるブナの広い斜面に出て、登ってみると、杉植林の管理道に出くわす。GPSを見るとこの尾根斜面はなんと孫兵衛の裏に繋がっている。
そこで管理道を下っていく。杉の落ち枝や若干の倒木はあるが最小限の整備で下れそう。
最後に植林帯から孫兵衛への脱出をあれこれ調査し、本日終了。
古道体験とトレイル開拓という絶妙な組み合わせの1日でした。
往復4.78km 335mD+