健康楽園。

健康に関する情報・提案を主にする。

平成お徒歩日記。

2011-07-27 | 読んでみた。finding.
平成お徒歩日記
宮部 みゆき
新潮社
宮部みゆきさんの 小説以外、はじめての単行本だといいます。
いろいろと不可解で恐ろしく 怒りや不安ばかりを募らせる出来事の多い昨今であります。
東日本大震災や、ノルウェーでの乱射事件などなど、、、、、、。
其の壱は、忠臣蔵で赤穂浪士が討ち入りを果たして、吉良邸から凱旋した道を歩いてみよう。
其の弐は、罪人が江戸市中引き回しされた道筋を歩いてみよう。
関所破り 桜田門への道程 
其の七は「七不思議で七転八倒」
錦糸町界隈を歩き 馬鹿囃子 送り提灯 消えずの行灯 置いてけ掘 足荒い屋敷 片葉の葦 などを廻ります。
そして 各地に流布する「七不思議」に思いを馳せるのです。
「人間と人間が寄り集って住む場所には必ず生じる「魔」を吸収し それを封じるという働きをするところが必要」
新興住宅地などは「美しく機能的ではあるが 遊びというか あまりの部分がない」
とりわけ自分を見失いやすい子供たちには こうした そこに行けば「魔」を放散することのできる 「魔」を吸収してくれる場所がどうしても必要なんだ。
そんな気持ちで、気軽に東京下町、お江戸をお散歩しています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茅野市神長官守矢資料館。

2011-07-19 | looking.
新しいチャンネル
奇怪な砦のような建物は、茅野市にある「神長官守矢資料館」です。
諏訪神社の近くにあります。なんと個人のお宅 守矢家の敷地内に聳えています。
1500年ほど前、大和朝廷が攻め上がって来たときに天龍川流域で戦い 敗れた部族の長でした。
背後の守屋山をご神体としていました。
建身名方命に、敗れたが この地の神長を命じられ、祭祀の実権を握りました。
のちに諏訪神社の筆頭神官を代々務め、現在の守矢早苗さんは78代目の当主です。
縄文時代以来の特異な自然信仰や祭事を現代に伝える家柄。残っている貴重な資料から内部展示がつくられています。
御頭祭(おんとうさい)。
ウサギの串刺しがあったり、鹿とイノシシも頭が75頭。鹿の肉と脳みそを混ぜて食し 篝火に照らされながら 神と一体となった祭り。
生け贄になる子供を縛った柱まであります。
江戸時代中期、菅江真澄が、書いていたスケッチをもとに再現 展示しています。
なんとも異様な、古代パワー。
何と 奇っ怪な!!!!
底知れぬ 自然信仰。日本源風景にひとつかとも感じました。

建物もすごい!!!
石の屋根を突き抜ける4本の木の柱。
黄土色の壁土での二階部分。船の切っ先のように こちらに挑みかかってきます。
うがたれたいくつもの窓。銃眼が並んでいるみたいです。
周囲を監視し 睥睨しています。

設計者は、守矢早苗さんの幼なじみ 藤森照信さんです。
鉄平石でふいてある屋根、4本の柱はミネゾウの幹、いずれも地元産です。

茅野市宮川389-1にあります。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中世を創った人びと。

2011-07-14 | 読んでみた。finding.
中世を創った人びと
松岡 心平,〓昭
新書館
松岡心平さんの著書 はじめて読みます。
鶴舞の古本屋で出会いました。ページを捲って巻頭言に魅せられてしましました。
「ひよっとして中世は、人類史の中で人間の魂がもっともバランスがとれていた時代として記述されるかも知れない。近くもない中つ世。近代的な意識に目覚めながら、深い闇へのおののきを身をもって生きている精神たちのいる場所。中世という時代が見直されるとすれば、それは、現代のわれわれが拠って立つ基盤が形成された時代というだけでなく 危機的状況にあるわれわれの先細った思考や 磨り減った感覚、あるいは倫理の欠如に対して 何か根源的な批判でもある時代 われわれが失ったものを思い出させてくれす豊穣の時代として、いま、呼び起こされている。」
ここは日本の中世ですから、鎌倉時代が終わるころから出た革命児をあげています。
1、連歌講  民主的な共同体
2、佐々木道誉  バサラ大名。光と闇のコーディネーター
3、一休宗純  愉楽のリベラリスト
4、今春禅竹  デカダンスの美学
5、足利義満  優雅な乗っ取り犯
6、柴屋軒宗長  言語空間の仕立て人
7、夢窓疎石  日本の山野を歩いた大秀才
8、後醍醐天皇  五百年の呪縛  逸脱の王者
9、村田珠光  竹をあやつる詫び茶の祖
10、世阿弥  流罪の芸術家  国家のエンターテイナー
11、池坊専応  宇宙表現の実験家
12、雪舟等楊  多様なスタイルを持つ画家  日本最初のスケッチ画家
13、足利義政  執念深い美の狩人
14、千利休  無縁平等の精神  ボラックホール世界への強い志向

取り上げられている人物、サブタイトルを読むだけで、わくわくします。
熟読して行きます。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリアで大の字。

2011-07-11 | 読んでみた。finding.
イタリアで大の字―さおり&トニーの冒険紀行
クリエーター情報なし
ヴィレッジブックス
「ダーリンは外国人」シリーズで人気の小栗左多里さんとトニーラズロさん夫婦が、いよいよ旅行記に挑戦です。
旅行記の楽しさは、行ってみたくなるような楽しい情報がたくさん頂けるか否かにあります。
その点では、期待以上の旅行記ですし、なんでもやってみるという二人の姿勢がほほえましい!!!!
フィレンツエでは、中世料理を体験。
イタリアでの1000年ー1380年ルネッサンス前には、イタリア料理にはトマトや芋類が無くって、ラザニアのような生地にチーズ、かぼちゃ、にんじん、ほうれん草、木の実などを挟んで食べたりしていたとか、細長いパスタをつくったのはレオナルドダビンチだったなどが漫画で紹介されますから楽しいです。
リゾットを作るのにも二人で挑戦、漫画図解が嬉しいです。
ローマのパスクイーノ広場はナヴォナ広場に近く、小さな石像が立っています。政府や世情批判が難しかった時代、風刺詩を、この像にはりつけることが流行して、この像が「物申す像」となり、風刺を意味するパスクイナータという言葉もここから誕生したとか、、、、。
ナポリでは、モッツアレッラチーズを実際に、悪戦苦闘しながら成形する様子がおかしい。
カメオ作りにも挑戦します。
サルディーニア島では「テノーレス ディ ピッティ」という3000年以上前から島に残る発声のスタイルに挑戦。
モンゴルのホーミーみたな歌い方で、口を開けないに歌う発声法。羊のような家畜の声を真似て出来た発声法だとも言われています。
「ラ モーラ」という、日本でいう数拳みたいなもので、1(ウーノ)から10(ディエチ)、サルディーニア語ではウヌからモーラまでの数を自分の指で示しながら 相手の示す数を予想して合計数を言い当てる遊びです。
イタリアの町再発見できる楽しい案内書です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毛丹青さん。

2011-07-08 | 読んでみた。finding.
今年1月に雑誌「知日」を創刊した、作家であり、神戸国際大学教授でもある 毛丹青さんの記事が日経夕刊に掲載されました。
昨年秋の中国漁船衝突事件からぎくしゃくしている日中関係から、何が求められているのか?
中国の若い世代には日本のことを温かい眼差しで見つめ 日本をわかろうという思っている人もいるし、日本のことを知らずに反感を持っている人もいる。
第一号のテーマは「機械」
毛さん自身大の車好き。友人の整備工が工場に入る時にお辞儀をする。こういう行動は中国人には不思議です。
「もの」に対してどういう思いが日本人の中にあるのか、日本人と機械との関係についての特集です。
まず日本は世界で一番自動販売機がある国だという話から始めました。
6月の第三号は村上春樹さん特集。
9月には「村上春樹の心象風景」というテーマで写真展も開きます。

毛さん1987年に三重大学に留学しています。3ヶ月で資金付きの学問に疑問を感じ退学。四日市の魚取引の会社に入って、漁船に乗り込み 魚ビジネスにのめり込みます。
中国経済が発展してきて、日本へ魚を売りたがらなくなってくると、神戸の商社へ転身。
著述活動への意欲が高まってきます。
毛さんが日本で発見した小さな感動や情景を読者に共感してもらいたいと、2004年「狂走日本」を出版しました。
狂ったように日本を歩き回る  という意味でした。
毛さんは、将来日本人の若者が中国で活躍するきっかけもつくりたい、と言っています。
中国は経済は大きくなりましたが、なぜ日本の町は綺麗なんだろう?どうして日本は古い伝統を残しつつ新しいものを生み出すのだろう?
中国は日本を知らなければならない時代に入りつつあるとも言っています。

隣国をお互い理解尊重する関係を深めている毛さん。素晴らしいです。
応援したいです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邯鄲。

2011-07-06 | looking.
名古屋能楽堂は、名古屋城の中にあります。
戦国武将、信長 秀吉などが好んで自ら舞った能をシリーズで上演してくれています。
大学の先生の解説も付いて入場料指定席3000円というお値打設定は嬉しいです。
「邯鄲」かんたん を見ました。
なんと想像力をかき立ててくれる、広く 大きい 能かと感じ入りました。
シテ(主人公)盧性は、中国の故事から来ていますが紀元前戦国時代 蜀の国の青年です。足利時代に出来たこの「邯鄲」ですが当時は中国をとても賛美尊敬していました。
盧生は、蜀を出て、楚の国へ向かい旅に出ます。
「うき(憂、浮)世の旅に迷い来て 夢路を何時とさだめん」青年 農家 閉塞感に満ち 富出世への渇望 思い通りの自分にならない悩みを抱えています。
野をいき山に分け入り 集落をいくつか過ぎて日々を重ね、日暮れ心細くなり一夜の宿を乞います。女主人は問います。「どこから来て どこへ行くのか」
不安からの安心を得たい そのために楚国へ行くのだと、、、そして女主人から不思議な枕について述べます。
一人枕を見つめて「これは身を知る門出の 世の試みに夢の告 天の与ふる事なるべし」と呟き。
さて、盧生は眠ったのだろうか ただ横になっただけだったのか それとも生まれてからずっと眠り続けていたのではないか?
気付くと 目指す楚国の勅使が寝台の前にいます。「楚国の帝の御位を、盧生に譲り申さんとの 勅使これまで参りたり」
諸候の絶え間ない貢ぎ物 王者の権力と富を得る盧生。白銀の山を東に築き 黄金の太陽を掲げ 不動の白金の月を配した。
人としての極みを感じる盧生。しかし万民の等しく訪れる死それは王とて例外ではない。
在位50年の祝宴。不老長寿の仙薬に擬した酒を盧生は飲む。酔うほどに右肩を脱いで踊る舞は見事!!!
盧生は 人として果たし得なかった夢 不老不死をとうとう手に入れました。
仙界という異次元を表す、この場面は、まさにSFです。
「日はまた出て明けくなり 夜かと思えば昼になり 昼かと思えば月またさやけし 春の花咲けば紅葉も色濃く 夏かと思えば雪も降りて 四季折々は目の前にて 春夏秋冬満木千草も一日に花咲けり おもしろや不思議やな」
 盧生の第一声は「何時までぞ!」
酒の酔いは醒める時が来る。夢は 眠りは覚まされる時が来る。
盧生の一睡は、宿屋の女主人が盧生のために栗の飯を炊くと入った 栗飯の炊けるまでの一炊の間でした。
楽音は消え 臣下は去り 女主人も消えてしまっている。
50年の最高の権力と財力とても生きてみれば それは一場の夢に過ぎない。邯鄲の枕での一睡の夢は、栗飯の一炊の間に過ぎなかった。華やかなものに執着する無意味さ いかなる生であろうと この世は夢であると開き直った時点で得られる安心。
迷いの境地から離れるのに たとえそれが邯鄲の枕であろうと 人に頼ろうとした自分の愚かさを悟ります。
夢という大きく広い現実の中のいまひとつの世界に入った時 現実という今ひとつの夢に目覚めたのです。
その機縁となった邯鄲の枕はありがたいものだと、盧生はこの世に蘇り、ひとり橋懸かりから去ります。
能は終わります。

さて、残された観客は、何を感じ取るんだろう?????
わたしたち人間は生物体としては、たかだか80年の生しか無いけれど、この邯鄲といい紀元前の故事を紀元とするように、脳内で想像する、予測 考えることは、時空を越えた桁外れの長さ 大きさ 広さ の経験をすることができます。
私は、この能を観て 一刻一刻 一日一日を 大切に生きよ!!!
という、メッセージと受け取りました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孟嘗君。

2011-07-02 | 読んでみた。finding.
この人この世界 2008年10-11月 (NHK知るを楽しむ/月)
クリエーター情報なし
NHK出版
紀元前770年から中国では春秋時代が始まり、紀元前475年に戦国時代に突入したといわれます。
紀元前279年に没するまで、斉の国の宰相として大活躍し、諸国各地の士数千人を食客とした名将です。

7月の夏祭りといえば京都の祇園祭、山鉾巡航が思い出されます。
年の稚児が大通りに張られた注連縄を真剣太刀で切り 境界を解き放ち 神域への巡航がはじまります。
毎年長刀鉾が巡航1番ですが、なんと2番が函谷鉾(カンコホコ)です。
この鉾は、順番を決めるくじ取り式に参加しない特権をもっています。
疫病の流行の原因である怨霊を鎮めるために行われる山鉾巡航は「祇園御霊会」でもあります。
この2番鉾の主は、孟嘗君だと、この本は明らかにしてくれます。気が遠くなる、遠大な気分に浸ることができます。
2300年以上前紀元前に活躍していた孟嘗君。
ずいぶん昔から孟嘗君は京都の人々に親しまれ崇められてきたのです。
大陸との、長い 深い 繋がりを感じます。
単なる孟嘗君年譜ではありません。

荘王への隠を進める(謎掛けをする)場面から「鳴かず飛ばす」という言葉が出来ました。
衛の国の君子と大臣の争いから、「衛の君子のほうが悪いかもしれない」と、正しい政治をおこなっているかぎり君子が天と民に棄てられることはない!」「君子を支えるのは天地の神ではなく人である!」
と、一種の革命思想が芽生えていたということ、「民意こそ天意である」との、孟子の思想を先取りしていることも教えられます。
清少納言の「夜をこめて鳥の空音ははかるとも、よに逢坂の関は許さじ」の和歌と、孟嘗君の繋がりも明かにしてくれます。
あーーーー繋がっているなーーー!!

宮城谷昌光さんの小説「孟嘗君」再読してみます。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする