ノンフィクションライター斉藤弘子の著作と近況

新刊案内・著作一覧・近況日記

自分を捨てる

2010-01-01 10:44:28 | Weblog
自分らしく生きること…多くの人がそうしたいと思っていることでしょう。私もそれを願い、大切なことと言ってきました。
でも、「自分」を前面に考えるのは、実はとっても苦しくなるのです。「自分は…」「自分は…」と思うと、人との関係や現実との壁にぶつかり、大きな精神的負荷を受けます。
最近、私は「生きている」というより「生かされている」という感覚が強いのです。自分で生きているのではなく、自らの使命というか、つとめを果たすまで、生かされているような気がします。
決して、神とか宗教じみた発想ではなく、いのちの神秘というような、誰にも真のところはわからない力に左右されているような気がします。

世の中は、そして人が生きることは、「思うようにならない」、つまり仏教で唱える「四苦」があるものです。それは当然ですね。みんなが思うようになる、ということは、社会の中では成り立たないことでしょう。みんな、思いは違うのですから、それがすべて思うようになったら、世の中が機能しなくなります。

「捨てる」という発想は、私には人生の究極の処方箋のように思います。
今年は、それをテーマに書いてみたいと思っています。
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がん再発!

2009-07-02 14:12:26 | Weblog
私には、高齢の母がいる。一人息子に自分の命をすててもというほど愛情をささげたにもかかわらず、晩年になって裏切られ捨てられた母に、ラストステージは安らかに過ごしてほしい、そう思って支えてきた私だが、その願いは神にも仏にも届かなかったのだろう。
昨年、大腸がんが発覚! でも幸いに転移はなく、早期のがん、内視鏡手術では取れないため腹腔鏡手術で切除。人工肛門にもならず、どうにか自律できる状態で回復へと向った。
83歳にもかかわらず、ひとりで気丈に生きようとする母…もうこれ以上哀しい目にあわせたくないと思っていた矢先、「がん再発」が宣告された。
腫瘍マーカーの数値が異常に高くなっているということがわかり、「手術や検査で体力がおちたから…、きっと大事にはいたらないよね」と確認を求める母の言葉に、「再発」の言葉が脳裏をかすめながら、しかしウソや励ましはいえない私は、とにかく検査の結果を聞いて、いちばんいい方法を一緒に考えようね、と…。
結果は、肝臓への転移がん、だった。

まわりには、がんと闘う人たちがたくさんいる。あの人も、この人も…いずれも何度も転移、再発し、身体を切り刻むようにメスを入れてガンを切除しようとする。
街を歩くと「大腸がん撲滅キャンペーン」のポスターが目にとびこんでくる。
でも「がん撲滅」といっても、撲滅なんてできないのだろう。自分の身体の中に潜み、ときおり顔を出しては悪さをする。そんながんとは闘うのでなく、どう上手に付き合って仲良くしていくのか、自分らしい生き方をまっとうしていけばよいのか…。
作家の山田風太郎は、「老いとは、身体が壊れていく過程」と語っているが、昔なら引退の年齢に近づいてきた私自身、実感する言葉である。母、そしてパートナーの老いも含めて、老いとは少しずつ、身体が自己崩壊していくことなのか、とも思える。自然体でそれを受け入れるのか、抗うべきなのか…。
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そんな死に方、困ります!

2009-06-10 00:08:41 | Weblog
死生学を専攻して講師や著作上も深いかかわりがあることから「死」とは仲良し、といってもよいでしょう。でも、現実に死と向き合うと、さまざまな思いや社会的な問題が生じてきます。
「心」の視点から言えば、日常生活では言い争いをしたり、文句をいっていても、空気のように「なくてはならない存在」になっている人が、突然、いなくなってしまうことは、涙もこぼれないほど、衝撃と深い悲しみをもたらします。
また、安らかな旅立ちでなかったり、十分に最期のときをともに過ごせない場合も、看取るものに悔いと思い残しをもたらします。
さらに、遺されるものにとって困るのは、故人の意思もわからず、どう後始末をしてよいかわからないことです。
これは、身近な話なのですが、父親がなくなったあと、連帯保証人になっていたことが発覚。銀行から借金をした当人は、事業が傾いて姿を消してしまった。そこで、連帯保証人の遺族に借金の請求がきたのです。
遺族は、そんな話を聞いたことはなく、どう対処してよいかわからない。
実は、相続は、プラスだけでなく、負の財産も受け継ぐので、遺族が遺産相続の放棄をしなければ(または限定での相続でなければ)、その借金もすべて受け継ぐことに、法律上はなっているのです。
「そんな死に方、困ります!」というケースですね。
遺されるものにとっての困った死…心理的にも物理的にも社会的にも、いろいろなケースがあります。
今後、そんなお話をときおり、させていただきます。
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「わかっちゃいるけど…」が変わる!?

2008-04-21 09:10:31 | Weblog
「わかっちゃいるけど、やめられない」、昔、そんな歌が流行りました。たしか植木等さんの歌だったと記憶しています。
その言葉通り、私も「わかっているけど…」と思うことが多いです。
「わかっちゃいるけど」のあとにくる言葉は、「やめられない」もあるし「仕方ないよ」もあるし…。
「やめられない」でいえば、健康にわるいから「煙草をやめたい」、コレステロールが高めなので「チーズや乳製品は控えめ」といわれていても好きなものは手が出てしまう。
「仕方がないよ」では、つい無理をして仕事をしてしまう、ストレスをためこんでしまう。
さて、そういう「わかっちゃいるけど…」が変わるためには、どうしたらいいのだろうかと考えてみました。
たとえば、煙草をやめられないのは、ホッとしたときやイライラしたとき、「煙草を吸うことによって心が安定する」ような刷り込まれた心理パターンがあるように思います。この「刷り込まれた」というのが大きなポイントで、「いい気分」だつたときはそれが脳に残っているので、「煙草を吸うといい気分になる」と無条件反射を起こすのでしょう。それが「いやな気分」だったら、二度と吸いたくなくなるのかもしれません。
私は、何度か禁煙して、数ヵ月は成功したときもあります。でも、ストレスが急激に襲ってきたとき、思わず煙草を買って吸ってしまったのです。そして「ああ、やっぱりやめられない」と思い、そして「仕方ないよ、せめて煙草くらい吸わなくちゃ、やってられない」とつぶやきました。
では、「なぜ、やめよう」と思うのかというと、やはり健康にわるいし、自分が苦しむことになるから、他人(パートナー)がいやがるから、等々ありますが、その動機づけも自身の中できちんと意識されていないのかもしれません。
煙草を例に出しましたが、「わかっちゃいるけど…」と思うことは、人それぞれで、リストをあげれば、ほんとうに多種多様でしょう。
これからしばらくの間は、この「わかっちゃいるけど…」について、書いていこうと思います。
その中で行動が「変わる」もしくは「意識が変わる」ためのヒントがみつかればいいなと思います。
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死を想ったら…

2008-02-23 22:12:21 | Weblog
昨年の12月、『自殺したい人に寄り添って』(三一書房)を刊行しました。その取材で、多くのいのちが叫び声を上げている実情を知りました。一生懸命に生きてきて、他の人よりがんばりすぎてしまい、「もう生きることに疲れた」といのちが悲鳴を上げている…。そんなときの「こころのありよう」は、「死が救い」のように思えるのです。この苦しみから逃れたい、楽になりたい! そう、こころが疲れ果てているのです。
そんなときは、考えるのをやめることです。深呼吸をして、神経もこころも休めてあげて、安らかな眠りにつくといいのです。
あるがん終末期の患者さんがこんなことを語っていました。
「朝、目覚めたとき、窓からさわやかな風とともに朝陽が差し込んでくる。ああ、今日も生きていると、そのとき生きている悦びを感じるのです」
今日、一日をとにかく生きてみましょう。
明日になれば、きっと生きる希望が見えてきます。
今日一日を精一杯生きること、先の不安や心配は意識からはずすことです。
私も「死を想う」ことがあります。
でも、「私の死」を大事に思うからこそ、そんなに簡単には生きることをやめられません。納得のいく人生にしたいし、私らしい最期を迎えたいからです。
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幸せになりたいのに不幸のレールを歩く

2008-02-09 15:54:13 | Weblog
誰でもが「幸せになりたい」と願うものです。
でも、そう思う心と裏腹に、「私はついてない」「やっぱりだめなんだ」…と自己否定をしてしまいがち。すると、心の中に暗雲がしのびこんできて、ますます否定的な考え方になってしまいます。そして、ツキが逃げてしまうのです。
そう、不幸になる道を自ら選んでしまうのです。
幸せになりたいと思ったら、まず、その考え方を変えることです。
といっても、性分でむずかしいと思われるかもしれません。最初は、意識して、「スイッチオフ、ここから楽天思考にスイッチを切り替えよう」と自分に言い聞かせてみましょう。
少し、気持ちの持ちようが変わるだけでも、気分は楽になります。
さあ、試してみましょう。
どうですか、少し心の中のモヤモヤが晴れるような気がしませんか。

「人生の立ち直り術」の最初は、心の持ちようを変えて、「幸せになる」という強い意志を持つことから始まるのです。
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「ありがとう」のラブメッセージ

2008-01-12 18:11:30 | Weblog
人生を振り返って、愛する人、大切な人、出逢ってよかったと思う人に、「ありがとう」というラブメッセージを送りたいと思いませんか。
「ありがとう」という言葉は、言われた人はもちろん、言った本人にしても、心が癒される効果があると思います。
その「ありがとう」という言葉を、みなさんは、どんなときに使うでしょうか。
頂戴ものをしたときや何かしてもらったとき、だけではなく、ちょっとした心遣いを感じたとき、たとえば気にかけて電話やメールをもらったときなど、かたちには見えない「心のギフト」をいただくと、こちらも心から「ありがとう」のお返しをしたくなります。
みなさんの「ありがとうメッセージ」をぜひ、お聞かせください。
待っています。
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生き直しの物語を紡ぐ

2008-01-06 16:39:18 | Weblog
ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、「人は物語を生きている。そして、人生はさまざまな物語が集まってできた一遍の長編小説のようだ」と語っています。
あなたは、どのような物語を生きているのか。そして、どのような長編小説と考えるだろうか。
私の物語は、悲哀に満ちていたような気がする。だからこそ、物語の書き換えをして、いき直しの物語を紡ぎたいと思っている。
そのためにも、数日前のプログに書いたが、「人生の立ち直り術」を探りたい。
そして、みなさんにそれを伝えたいと考えている。
ただ、それをみつけるためには少し時間がかかりそうだ。
しかし、「あきらめず「あせらず」見つけていきたい。
みなさん、待っていてくださいね。
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自殺したい人に寄り添って

2008-01-03 13:59:12 | Weblog
昨年の12月、三一書房より『自殺したい人に寄り添って』というノンフィクションを出版しました。
年間の自殺者数は、9年間、3万人超…日本は世界でも有数の自殺大国です。
それほど、いまの時代、生きづらさを抱えている人が多いということです。
でも、人は、「死ぬ瞬間まで生きたい」と思っているのです。
「死ぬほどつらい思い」を感じていながら、心の奥底では「生きたい、幸せになりたい」と叫んでいるのです。
そんな「いのちの叫び」を上げている人たちに、寄り添って、生きるうえでのセコンド役を担っている人たちがいます。
本書は、自殺の現況とともに、そういった「いのちのケア」を提供している人たちの姿を追いました。
関心をもちましたら、ぜひ、書店ででも拙著を手にとってくださいね。
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人生の立ち直り術

2008-01-02 23:13:05 | Weblog
2年ぶりにブログを再開することにしました。
今年は、どうしても実らせたい出版企画があります。
私は、「小さな死」と言っていますが、人は誰でも「喪失体験」があります。
親友や大切な人との別れ、挫折、心の支えとなっていた信条や信念の喪失、死別体験…そういった喪失体験を、私は「小さな死」と呼んでいるのです。
小さな死といっても、喪失の悲嘆は、グリーフ(死別悲嘆)と同じといってよいでしょう。そのグリーフを乗り越え、新たな人生をスタートさせる。
つまり「生き直しの物語」を紡ぐ…そのための術をまとめた本をつくりたいと思っています。
それは、私自身のためでもあると思います。
昨年の11月、私の人生は大きく変わりました。
住まいも同居人も…生活環境がまったく異なるようになったのです。
いま、私は自分自身のためにも、喪失体験を味わった人が再生のために「生き直しの物語を紡ぐ」ためにどうしたらよいのか、追究したいと思っています。

さて、あなたは、どのような喪失体験を持っていますか。
そして、どのように、それを乗り越え、生き直しの物語を紡いだのでしょうか。
ぜひ、みなさんの体験談をお聞かせください。

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