平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い550 「瀬戸内少年野球団」の「のり弁」、「伏魔殿」の「のり弁」

2016-09-18 09:58:50 | 日記
平和への希い550 戦後71年  
「瀬戸内少年野球団」の「のり弁」、「伏魔殿」の「のり弁」 2016.9.18.

昨夜、阿久悠さんの自伝的小説をドラマ化した「瀬戸内少年野球団」を観ました。
真っ黒の歯ブラシが入った骨箱が、国民を煽り、興奮させ、ウソに塗り込められた無謀な戦争
であったかを如実に物語っていました。

最後まで「勝つ」と信じさせられていた少年達が、敗戦による喪失感を野球にユメを託して立ち
上がる。それを支援する女性教師と元甲子園球児で片足を失う戦傷を負った夫、子供達を暖かく
見守り声援する家族。子供たちが頑張る姿に大人たちの「喪失感」も癒されて行った。
日本中が、「喪失感」を克服するために、苦労していた頃の感動実話の一つでした。

物語の中にあった、子供たちが先生の指示に従って、教科書に墨塗りしているシーン。
新しい教科書が間に合わず、進駐軍の指示で、軍国主義に通ずる部分を子供たちが、顔を墨で
真っ黒にしながら塗りつぶして、「のり弁」のように殆ど真っ黒のページもあった。

進駐軍は、「二度と戦争させない」ために確固たる信念を持って「のり弁」を強要したのですが、
過日、東京都議会で東京都の元知事舛添さんの高額海外出張費追及の折、都側が出した資料も
「のり弁」のオンパレード、誰がどのような信念に基づいて「のり弁」を作ったのか、あまりにも
お粗末ではありませんか?

豊洲市場のゴタゴタを見るにつけ、石原元知事が「伏魔殿」と言った都庁に、都民・国民を食い物
にする「悪魔」が住み着いているのでは、と心配です。
「のり弁」は、平和日本のために強要した進駐軍を最後にするべきでしたが・・・。


ウォーキング中に出会った花。

9月18日「今日は何の日カレンダー」より
▲帝国議会議事堂の火災により、貴族院・衆議院両院の本館が焼失(1925)
▲満州事変(1931)▲全日本学生自治会総連合(全学連)を結成(1948)
▲蔵前国技館が落成、相撲博物館開館(1954)
▲海老原博幸、ボクシング世界フライ級チャンピオンに(1963)


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