あれから一年とちょっと過ぎた日に少しの計画と思った気持ちで震災地を訪れた。
結局のところ松島から大船渡までしか見ることが出来なかったのだが、見に行って良かったと思えたのだから「自分のエゴ」を満足させられたのだろう。
一年経った被災地を見た観点からのものなので、ずっと見てきた人達からすれば失礼なことなのかもしれない。
けれど全くこの地を見てない人のためにも今の自分の目線で書きたいと思う。
メディアで知るのと自分の目で見るのとで明らかに違ったのが二つ。
一つ目は地震の被害よりも津波に被害が凄まじかったコト。
津波。
本当に恐ろしい天災だと実感した。

地震で家具が壊れたり、垣根が倒れたり、中には家が倒壊したりあったのかもしれない。
けれども一年経った今ではその状況はわからなかった。
津波は全く違うモノだった。
防波堤を乗り越え全てを飲み込んだのが未だにわかる。
港へ流れ込む波はパワーを集め、一番賑やかな港町へ一気に押し寄せたのだろう。
不幸なことに東北太平洋側の独特の地形がソレを甚大な被害にしたのも頷けた。
全てが瓦礫と化し、その瓦礫を一年かけ一箇所に集め、やっと再興への道が開き始めた。
そんな状況だったように感じた。
二つ目。
俺はメディアでもなんでもないため、その人達に何かすることは出来ないけれども
せめて一人の人間として「その場所に訪れた一人」として接したかった。
リアス式の地形のため、山・海・山・海の地形が延々と続く。
勿論先に書いたように海の場所の被害は津波の被害とイコールになる。
石巻の山沿いの道で物産展をやっている場所があったので立ち寄った。
本来、海沿いの市場で売っていたモノなのかと思うが、新鮮な魚がたくさん並んでいて調理を出来る環境と腕があれば買い漁るほどの値段だった。
店先では大きなイカ焼きが100円。そしてカニ出汁の味噌汁は無料で提供していた。
配ってくれた全員に聞こえるようにご馳走様と言った。
北上の道中を走る途中、一つの海沿いのさら地になった場所で新しく作ったガソリンスタンドに寄った。
ガソリンスタンドと海以外は本当に何もない(無くなった)場所だった。

そこでガソリンを入れる傍ら一人で働く人と話をした。
今回の旅に賛同して車を出してくれた友人が、
ここへ来る前日にテレビで南三陸町の仮設住宅を改装して飲食店を営む兄弟の話を見た。
俺もたまたま点けたテレビで彼ほどじっくりは見てなかったがその店の存在を知っていたのでお昼はここにすることにした。
南三陸町は海沿いに4階建の鉄骨の建物が骨組だけ残っていたので、大きな町だったのが辛うじてわかった。
海沿いの平地が大きかったのもあり、被害は甚大だったのは察することが出来た。
海から1km弱の仮設住宅にさんさカフェがあった。
後に聞いたがここも津波に飲まれた場所だったそうだ。
美味しいランチをいただき、テレビで見たことを話すと帰り際にわざわざ店の外まで出て話をしてくれた。
被災地での人と接する機会はこの3回だけだったが、
話をして共通して感じることがあった。
誰しもが地震そして津波を忘れていないってこと。
そして誰しもが生きるために動いているってこと。
「頑張れ」なんて言葉を掛けるのは絶対無理だった。
全てを失って、
絶望して、
諦めて、
無力さを感じて、
それでも生きるためには足を、手を、動かさなくてはいけないんだって
そう感じた。
津波の被害にあったことを全て受け止めてるからこそ、
土日休日を顧みず、無くならない瓦礫を集め続けてるんだと感じた。
さんさカフェの人が言った。
「ボランティアに来てくれるのは勿論嬉しい。けれどもこうやってテレビを見て人がまた来てくれることがこれから大事なのかもしれないね」
本当に訪れて良かったと思えた言葉だった。
被災地の方に元気をもらうなんて可笑しいと思うけれども、
俺と同じように何をすることが正しいのかわからない人こそ、是非この地に訪れて欲しいと思う。





結局のところ松島から大船渡までしか見ることが出来なかったのだが、見に行って良かったと思えたのだから「自分のエゴ」を満足させられたのだろう。
一年経った被災地を見た観点からのものなので、ずっと見てきた人達からすれば失礼なことなのかもしれない。
けれど全くこの地を見てない人のためにも今の自分の目線で書きたいと思う。
メディアで知るのと自分の目で見るのとで明らかに違ったのが二つ。
一つ目は地震の被害よりも津波に被害が凄まじかったコト。
津波。
本当に恐ろしい天災だと実感した。

地震で家具が壊れたり、垣根が倒れたり、中には家が倒壊したりあったのかもしれない。
けれども一年経った今ではその状況はわからなかった。
津波は全く違うモノだった。
防波堤を乗り越え全てを飲み込んだのが未だにわかる。
港へ流れ込む波はパワーを集め、一番賑やかな港町へ一気に押し寄せたのだろう。
不幸なことに東北太平洋側の独特の地形がソレを甚大な被害にしたのも頷けた。
全てが瓦礫と化し、その瓦礫を一年かけ一箇所に集め、やっと再興への道が開き始めた。
そんな状況だったように感じた。
二つ目。
俺はメディアでもなんでもないため、その人達に何かすることは出来ないけれども
せめて一人の人間として「その場所に訪れた一人」として接したかった。
リアス式の地形のため、山・海・山・海の地形が延々と続く。
勿論先に書いたように海の場所の被害は津波の被害とイコールになる。
石巻の山沿いの道で物産展をやっている場所があったので立ち寄った。
店先では大きなイカ焼きが100円。そしてカニ出汁の味噌汁は無料で提供していた。
北上の道中を走る途中、一つの海沿いのさら地になった場所で新しく作ったガソリンスタンドに寄った。
ガソリンスタンドと海以外は本当に何もない(無くなった)場所だった。

そこでガソリンを入れる傍ら一人で働く人と話をした。
今回の旅に賛同して車を出してくれた友人が、
ここへ来る前日にテレビで南三陸町の仮設住宅を改装して飲食店を営む兄弟の話を見た。
俺もたまたま点けたテレビで彼ほどじっくりは見てなかったがその店の存在を知っていたのでお昼はここにすることにした。
南三陸町は海沿いに4階建の鉄骨の建物が骨組だけ残っていたので、大きな町だったのが辛うじてわかった。
海沿いの平地が大きかったのもあり、被害は甚大だったのは察することが出来た。
海から1km弱の仮設住宅にさんさカフェがあった。
後に聞いたがここも津波に飲まれた場所だったそうだ。
美味しいランチをいただき、テレビで見たことを話すと帰り際にわざわざ店の外まで出て話をしてくれた。
被災地での人と接する機会はこの3回だけだったが、
話をして共通して感じることがあった。
誰しもが地震そして津波を忘れていないってこと。
そして誰しもが生きるために動いているってこと。
「頑張れ」なんて言葉を掛けるのは絶対無理だった。
全てを失って、
絶望して、
諦めて、
無力さを感じて、
それでも生きるためには足を、手を、動かさなくてはいけないんだって
そう感じた。
津波の被害にあったことを全て受け止めてるからこそ、
土日休日を顧みず、無くならない瓦礫を集め続けてるんだと感じた。
さんさカフェの人が言った。
「ボランティアに来てくれるのは勿論嬉しい。けれどもこうやってテレビを見て人がまた来てくれることがこれから大事なのかもしれないね」
本当に訪れて良かったと思えた言葉だった。
被災地の方に元気をもらうなんて可笑しいと思うけれども、
俺と同じように何をすることが正しいのかわからない人こそ、是非この地に訪れて欲しいと思う。
コメント (2) |
トラックバック (0) |










