ハンサムと呼ばれたい。
東京は新宿、JR南口から出て正面を見ると、線路の上にかかる橋が
見渡せる。この橋周辺を「サザンテラス」と呼ぶ。ことになっている。
呼んでる人見たことないけど。
そして、都営地下鉄大江戸線新宿駅の構内には、この「サザンテラス」を
プロモートするポスターが掲げられている。
曰く。
「ハンサムな大人の街」
宮藤勘九郎は、『池袋ウエストゲートパーク』の中で、
渡辺謙のことを、きたろうに「ハンサム、お前はハンサムだなぁ」
と呼ばせていた。
かように、「ハンサム」という言葉も、他の死語(というのも死語だが)
と同様、そこはかとなく、恥ずかしさを持った言葉としてのみ流通する
ようになってはいるが、だがしかし。
「ハンサムな大人の街」
でもこれが、
「クールな大人の街」ならばどうか。
全くもってクールではない。
「いけてる大人の街」
断じていけていない。
一周して戻ってくると、意外と「ハンサム」いいのではないか。
「あいつ、クールな奴だよ」と「あいつ、ハンサムな奴だよ」。
いいじゃないか、「ハンサム」。
例えば、植草甚一は、ハンサムな大人ではあったかもしれないが、
クールやら何やらで形容するとどうもすんなりこない。
ハンサム、という言葉が使われなくなったのは、それが形容する
ハンサムな人がいなくなったからなのかもしれない。
呼ばれてみたいものだ。「ハンサムな奴」と。
ハンサム、ハンサムと書くと韓国語のように思えるのは私だけでしょうか。
関係ないけど。
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