九州社員旅行(2/4)

2016年10月18日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<午前中行われている「呼子の朝市」>

10月15日は、朝から「呼子の朝市」へ。
3大朝市と聞いていたが、想像以上に小規模だった(何を間違ったか?まだ一泊するのに、「イカの一夜干し」(大4枚1,000円+1枚サービス)を買ってしまった!)

約一時間朝市を楽しんだ後、午前中に長崎に入る。「出島」を簡単に見学した後、中華街で「長崎ちゃんぽん&皿うどん」を食べた。


▲<長崎の中華街は、いつ行っても楽しい>

13時50分発の、「軍艦島ツアー」に参加した。長崎港から40分の船旅(途中、三菱重工の世界遺産設備や日本最初の西洋式造船所跡を船から観ながら解説を聞いて行く)。海の状況が良く「船酔い」もせず渡れた。

「シーマン商会」の船に乗ったのだが、ガイドがNPO「軍艦島を世界遺産にする会」の理事長坂本氏(元島民)で、大変力の入ったガイドが聞けて、話の内容に圧倒された。


▲<遠くから見ると外観が「戦艦土佐」に似ている事から「軍艦島」と呼ばれるようになったらしい>


▲<右端7階建の「小中学校」、中央10階建の「鉱員社宅」>

「軍艦島」の正式名は「端島」。1810年佐賀藩が小規模な採炭の後、三菱が1890年に経営してから本格的に操業した。

1916年(大正5年)鉱員用の「日本初鉄筋コンクリートの高層アパート」が建設され、最盛期には島には5,300人が住んでいたらしい。


▲<世界遺産の「総合事務所跡」この建物には、炭鉱マンが服を着たまま入れる共同浴場があったらしい>


▲<世界遺産の「天川の護岸」(石灰と赤土を混ぜた天川と呼ばれる接着剤を用いた石組工法>

私が驚いたのは、地上の「軍艦島」(南北480m東西160m埋め立で3倍に)の大きさよりも、海の地下1km以上の深さ、範囲は南西2kmに採掘していた事だ。

当時、島の様子は詳細に報じられなかったが、1918年(大正7年)海底ケーブルによる電気送電で、早い時期にテレビや冷蔵庫・洗濯機が各家庭に備わっていたらしい(真水・ガスは、遅くて昭和30年代)。






▲<島内では、限られた見学場所をガイドさんの誘導で歩く>

1974年、国のエネルギー施策の変更により、閉山発表から3カ月で、持ち出せる荷物も限定され追われるようにして「端島」(故郷)を出た事は、今でも元島民にとって忘れられない辛い事だったようです(事実、故郷には数年間自由に入れず今は壊れ崩れて行くのをただ見るだけ)。

佐賀港に戻り、佐賀県から高速道路2時間で、博多市内のホテルに戻れたのには驚いた。

夜は、「大濠公園」近くの「鶏の水炊き」を食べ、キャナルシティ内「ワシントンホテル」近くの「屋台」で、おでんを食べてから寝た。
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