音楽と情報から見えてくるもの

ある音楽家がいま考えていること。アナリーゼ(音楽分析)から見えるもの。そして情報科学視点からの考察。

音楽雑記帳:音律ー➀ 何故人々は音律を定義しようとしたか

2017-02-22 17:08:37 | 音楽
ギリシャ時代(B.C.500年頃)、ピタゴラスは万物の根源は「数」であると考え、様々な現象を数あるいは簡単な整数比で説明した。これから考察する音律のみならず、彼の教団は天体運動や男女関係まで数で表現した。例えば男(3)と女(2)の和(5)が結婚を象徴するという具合だ。

ピタゴラスは全く著作を残さなかったうえ、彼の教団は厳しい秘密主義を貫いていたため、彼の思想を知るには弟子あるいは後世の伝記記者の記録頼るしかない。彼が金槌(かなづち)の槌音を聴いてその重さの比率から協和音程が単純な振動数比に基づく事を発見したという有名な逸話の真偽は定かではない。ただ、彼はそれを実証するためにモノコードという一弦の作ったという。

モノコードのコンセプト・モデル(株式会社アーテック 製 但しこの製品は2弦になっている。)

そこには、音の調和は単純な振動数比にあるという信念が読み取れる。実際、振動数比1:2はオクターブ、2:3は完全五度でありモノコードで簡単に確認できる。同時代の哲学者アリストクセノスは協和音程の理論よりも響きを重視した音律論を展開したがしりぞけられてしまった。
ピタゴラス音律は実際に演奏するための形式というより、この世界がどのような調和の原理に基づいて構成されているのかという哲学的な問いへの答えであった。とはいえ、この音律は楽器の調律が容易であり、また旋律を奏でるには問題が無いので、多声音楽が登場するまで使用された。

ピタゴラス音律では三度音程は不協和音として扱われていたが、多声音楽の隆盛によって5度・4度だけでなく三度音程が美しく共鳴する音律が必要になってきた。ルネッサンス期になって三度音程を多用した曲がたくさん作曲されるようになるとそれに対応した音律の必要性がますます高まった。15~19Cに鍵盤楽器で使用された中全音律(ミーントーン)は完全五度音程の響きを少しだけ犠牲にして長三度の音程が美しく響くようにしたものである。これによって3和音が美しく響くだけでなく、関係調への転調がやりやすくなる。例えばハ長調・イ短調及び♭3つまで、♯2つまでの調はきれいに響く。実際バロック音楽ではほとんどの曲がこれらの調で作曲された。ただ、♭4つ、♯3つ以上の調は中全音律ではきれいに響かず、使い物にならない。

バロック後期になると様々な調性の音楽が現れ、転調の手法も多様になってきた。そこで、すべての調に対応できるウェルテンペラメントという音律が登場してきた。この音律を使って24全ての調性で作曲したJ.S.Bach の「平均律クラヴィア曲集」"Wohltemperiertes klavier"が有名である。(ここで訳語として使われている「平均律」は現代の平均律ではなく、ウェルテンペラメントのことである)

1オクターブの12音全ての音程を均一な振動数比率(12乗根√2)で調律する平均律の理論は16世紀(バロック時代)に登場した。しかし、一般に普及したのは18世紀頃、古典派の時代になってからと考えられる。
平均律という調律法は共鳴という現象を犠牲にしており、響きの点から問題を抱えている。しかし、平均律の普及は音楽の大きな変革をもたらした。一つは、共鳴という観点から考えると、どの調でも音程が同じならどの音を基音としても同一の響きがすることである。ハ長調のド・ソでも、二長調のド・ソでも5度音程は同じ振動数比(2:3)になるので、同じ響きになる。もちろんニ長調のほうが2度高い音ではあるが。つまり、転調に全く制約がない。二つ目は、付加和音の制約がなくなり、和音(コード)進行の自由度が拡大したこと。
これによって音楽は縦方向(和音)にも横方向(和音進行や転調)にも機能が飛躍的に拡大した。そして20世紀になって行きついたのが無調音楽や十二音音楽であり、またモダンジャズだった。