風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2009年8月23日 忘れられないこと

2009年10月23日 12時41分46秒 | 教会員の証し
     忘れられないこと

 8月5日から1週間ほど、旅行も兼ねて里帰りしました。息子の受験や、妹の結婚式などで行けなかったので1年半ぶりです。今回は、大きくなった孫の顔を見せに行くということの他に、私にとっては、祖母に会いに行くという大きな目的がありました。祖母は今年97歳で、現在は父の家から車で15分位のところにあるグループホームで暮らしています。

 2年程前に会ったときには、一応立ったり座ったり一人でしていましたが、その後、骨粗しょう症で転んで何回も骨折し、この頃は車椅子の生活だということ、また、認知症がすすんできているという話を母から聞いていました。しかしながら、何か重たいものがあるような、そんな気持ちをかくして、10日の午後に母と二人で出かけました。ホームについて扉が開くと、明るいホールのような部屋の中に祖母はこちらに半分背を向けて座っていました。声をかけると、祖母は前とあまり変わらない声で「まぁ、ひさしぶり。何年ぶりかねぇ。」と言いました。

 一緒に祖母の部屋へ行き、しばらく話をしました。というより、祖母が一人で話している感じだったのですが、祖母の話の中では私は大学を卒業したばかりなのか、ともかくまだ結婚していないようで、話がかみ合わないところが多々ありましたが元気そうで、私はほっとして家に帰りました。

 後で考えると、私は忘れられていることを恐れていたのだと思いました。祖母が私が誰かわからなかったら、と思うとこわかったのです。人に忘れられるということ、自分はその人にとって、道端ですれ違う人と同様、誰でもない存在である、ということは耐え難いことだと思います。あなたを決して忘れていないよ、あなたは大切な人だよ、と人はいつも身近に感じている必要があるのでしょう。何時いかなるときにも、私を決して忘れずにいて下さる方が身近におられることを心から感謝します。


T.Y