風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

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2017年4月23日 キャンパス ホームレス

2017-04-30 22:06:09 | 教会員の証し
キャンパス ホームレス

 2⽉26⽇、考えられなかったような社会現象を扱った、某テレビ局のドキュメント番組を⾒た。家賃が払えず、⼤学キャンパス内で路上⽣活を送る現役学⽣が増えているというのである。舞台はカリフォルニア州⽴⼤学。⽶国の⽴派な公⽴⼤学だ。在籍している学⽣総数は42万名。⽇本の⼤学とは桁が違う。
 GDP世界⼀の恩恵に与っているのは⼀部の富裕層だけで、⿊⼈やヒスパニック系の多くは貧困に喘いでいる。⽇本でも似たような傾向になりつつあるのではないか。国の将来を担ってくれるはずの若者が、経済的理由で⾼等教育を受ける機会を奪われている現状は憂うべき事態だ。⼤学当局も事態を放置できず、コンビニで売れ残った⾷品を寄付してもらい、ホームレス学⽣たちに無料配布している。「焼け⽯に⽔」的な対応が精⼀杯なのだろう。経済⼤国の闇の部分を⾒る思いだった。
 富の配分が公平に⾏われていないという事になるのだろうが、最⼤の要因は、その突出した軍事費(54兆円強)ではないか。⽇本の防衛予算の10倍以上という⾦額は、どう⾒ても異常だ。過重な軍事費に耐えられず、旧ソビエト連邦は崩壊してしまった。冷戦の勝者等いなかったのである。
 4⽉から開店する平尾教会⼦ども⾷堂(こひつじの園ランチカフェ)は、蓋を開けてみなければどうなるかわからないが、繁盛しても、閑古⿃が鳴いても、複雑な気持ちだ。初⽇の4⽉15⽇、私も⾷卓を囲む輪に加えてもらう。


T.Y兄

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2017年3月26日&4月2日 2016年9月25日記 

2017-04-30 22:00:03 | 教会員の証し
2016年9月25日記

 核と経済の並進路線の朝鮮民主主義人民共和国の暴走が止まりません.マタイによる福音書やルカによる福音書にも「汝の隣人を愛しなさい」と、私の好きな御言葉が有ります。この北朝鮮の事を少し考えて見ます。
 主体思想と言う言葉が有ります。私の長男(48歳)はKOREA TOTOの代表理事です。嫁も韓国人でNorth Koreaに近い超高層マンションに住んでおります。彼もこの主体思想(チュチェ)が有る限り、日本、韓国、米国他国連加盟国が制裁強化しても、北は益々エスカレートするだけです、と小生に話しています。
 この主体思想とは、金家の金日成(キムイルソン)、金正日(キムジョンイル)、金正恩(キムジョンウン)、世襲三代続く、金一族の金正恩朝鮮労働党委員長は、祖父の金日成の言う、世界はこの金日成が作った物、という朝鮮労働党の公式政治思想を、父の金正日以上に頑(かたく)なに守っております。TVに出てくる顔、容姿、全て祖父そっくりです。私共は主イエスキリストを誰よりも愛する「お父様」とお祈りの前後で祈りますが、北朝鮮の宗教は、無宗教が64%、民族信仰が16%、天道教が14%、仏教が5%、キリスト教が日本と同じ1%と言う状態です。
 キリスト教は相当の弾圧をうけております。最近はSNSのお陰で、かなりの国民が韓国や日本の民主的な考えや思想が入手できるらしく、一部報道によると、金正恩暗殺や体制崩壊も現実になるのではないかと言う事です。政府間交渉では拉致家族問題も益々悪くなります。キリスト教を中心とする民間交渉が不可欠です。
  9月の核実験で、北朝鮮労働党機関紙である労働新聞は、北はかつての貧弱国家でなく、強大な核保有国として国際社会の地位を高め、北をむやみに攻撃出来ないと言う事を世界中に知らしめた。米国に対して北は「核保有国として認めないのは、手のひらで太陽を遮る様なものだ。」と発信しています。これも主体思想を誇示しております。
 今後バチカン(フランシスコ ローマ法王)を中心とする世界の宗教界が、北と時間をかけて平和への努力を進めて行き、「汝の隣人を愛しなさい」を理解させる民間外交を展開する必要があります。主よ、北朝鮮国民にお導きとお恵みが降り注がれる事を、キリストの御名によってお祈り致します。ア-メン。
〈追伸〉
 日中両国の専門家が少子高齢化の課題について議論するシンポジウムが9月に北京で開かれ、久留米大で学んだ中国人の元留学生達で作る「久留米大学中国会」の設立10周年記念行事も兼ね、約70人が参加しました。シンポは1996年から毎年開いており、21回目、中国社会科学院入口と労働経済研究所、久留米大経済学部などが主催した。
 日本側が年金制度の現状を報告すると、中国側から質問が続出。「高齢化は日本より厳しい、日本の経験を学ぶ必要がある」との声も出たとの事。久留米大への留学経験者は、大学院生などを含めて累計2,000人近くに上るらしいです。久留米大北京教育交流センタ-代表で、自らも留学経験者の王橋教授は「民間交流を拡大しながら、日中共通の課題である人口問題に協力して取り組みたい」との事。
 宗教界でも、カトリック長崎大司教区司祭の野下千年牧師の話によると、長崎県における諸宗教(新道、仏教、キリスト教、黒住教、天理教、金光教、立正佼成会)は、平和の祈りとして行動を始めております。2300万人の北の方々に平和が大切な事を主と共に祈ります。


M.M 兄

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2017年3月5日&12日&19日 アメリカ研修で学んだ事 

2017-03-19 14:22:03 | 教会員の証し
アメリカ研修で学んだ事

 まずは、アメリカの研修に行くきっかけとなったことを簡単にお話ししたいと思います。去年の7月末に2度目の交通事故に遭い、1ヶ月間、入院をしました。そのときの私は、四方八方、壁に塞がれ、深く思い悩んでいた時期でもありました。神さまは私の祈りを聞いてくれているのか?なぜこんなに苦しいことが立て続けに起き、なにもかも取り上げられるのか?それでもなぜ私は生かされているのか?そのことばかりを考えていました。
 しかし事故に遭って、平尾のみなさんが毎日、お見舞いに来てくれることに、私はこんなにもみんなに深く、深く愛されていたのかと実感しました。そして、教会につながってはいたものの、私の心のある場所がまったくお門違いなところにあったことに気がつきました。
 それから、神さまに対する嘆きもありましたが、同時に私の頭の中には平尾教会のことばかりがありました。そして、自分の教会生活を振り返り、今までやりたかったビジョンがさらに明確となりました。それは、平尾教会のSGの活性化とバプテスマを受けた後のケアや聖書に興味を持っている方々にフォーカスを置いて携わるというビジョンです。
 そして、そのビジョンのためにアメリカに行き、研修を受けたいと、退院日に森先生に相談したところ、見事にちゃぶ台をひっくり返され、そのちゃぶ台で打ちのめされたのです。(もちろん、退院日に相談したのが原因ですが。)しかし、みなさんに支えられ、「平尾のためにたくさん学ぼう」というインプットと「平尾の宣伝をしよう」というアウトプットすることを目標に、無事にアメリカへと研修をしに行くことができました。
 アメリカでの研修テーマは、「Rise & Go~イエスの勝利の御名によって~」でした。イエスの勝利の御名によって立ち上がり、そして出て行くということが研修参加者にとってどんな形で示されるのか?御言葉、賛美、そして祈りを通して、イエスの勝利の御名によって生きることについて主から語っていただくというものでした。
 研修先で主に集中して参加した事は、①個人の自由な解釈を尊重した聖書研究、②聖書講開(聖書研究と同じ聖書箇所から語っていただきます)、③同じ部屋の方々との分かち合い、④ワークショップでした。(中略)
 4回あった聖書講開では、山崎ランサム和彦先生によって、ルカによる福音書を講開してもらいました。その中で多くのことを神様によって語っていただきました。ルカ1:26~38のマリアの受胎告知のところでは、「神の恵み」と「信仰による応答」について語られました。「神の恵み」についてですが、恵みとは自分のための恵みではなく、誰かのために自分が大変な中を通る恵みもあること。「信仰による応答」からは、マリアの献身を例に、先に出る神からの恵みにどのように応えるのか?神からの恵みを受け取るのか、受け取らないのかというのは、人の信仰による応答が必要なこと。ルカ1:48にある、「神は大きなことのために身分の低い者、欠けた者を遣わす」、そして、マリアはイスラエルの民全体の救いのために用いられたこと。
 私はこのようにとらえ、ここからある疑問が浮かびました。「私に与えられている神のご計画はなんだろうか?そして私は何のためにアメリカの研修を受けているのか?」ということを。そして、私は気づきました。私は、入院中にDCGのみんなだけではなく、平尾のみなさんからも深く愛されていたことを知ったことによって、自然と「平尾教会のためにできることは何なのか?」ということを考えていました。
 つまり、「私は共同体の救いのために自らを捧げること」、神から「教会に仕えなさい」という献身が今ここで与えられているのでは?と迫られているように感じました。献身と聞くと、神学校に行くのかという考えになりますが、そのことについては、私はもう少し祈りつつ待ちたいと思います。この一年~二年は、神さまから示されたように、「より深く教会に仕えていきたい」と思っています。
 それは、この研修で学んだことをそれぞれのSGに活かせるところは活かしたり、Bible Heartを盛り上げたりすることです。また出来うる限りで、積極的にDCGだけではなく、平尾である行事にも参加したいと思っています。もし本当に神学校に行き、牧会者として生きていくことを示されているのであれば、ペテロのように、神さまから何度も召命をいただけると信じています。
 そして、ルカ2章でマリアが「心に納め、祈り続けた」ように、神さまの御心がわからずとも、私に与えられたビジョンや神さまが私に示したことを、私も忍耐を持ってそれらの約束の成就を待ち望みつつ、神さまに仕えて生きていきたいと思います。
 さて今後は、教会の霊的成長や弟子訓練が十分に行われるように、SGやBible Heartの部分に深く関わっていきたいです。すでに、頭の中にさまざまなアイデアがあります。まずは、平良先生、森先生、両牧師に相談しつつ、3月に行われるSG世話役会でいろいろなアイデアを共有できたらいいなと思っています。そして、みんなで協力しつつ、SGを盛り上げ、霊的成長、弟子訓練が行われること、平尾教会がさらに大きな教会になることを祈りつつ、歩んでいきたいと思います。


F.M 姉

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2017年2月26日 仁義なきキリスト教史

2017-03-19 14:16:44 | 教会員の証し
仁義なきキリスト教史

 表題は、最近読んだ小説のタイトルである。著者は架神京介(かがみきょうすけ)氏。イエスからルターまでのキリスト教史を、映画『仁義なき戦い』の世界さながらに描く。
 章立てを見てみよう。「第1章やくざイエス」、「第2章やくざイエスの死」、「第3章初期やくざ教会」、「第4章パウロ-極道の伝道師たち」、「第5章ローマ帝国にしのびよるやくざの影」、「第6章実録・叙任権やくざ闘争」、「第7章第四回十字軍」、「第8章極道ルターの宗教改革」。
 イエスをはじめ登場人物は皆、広島弁である。神は「ヤハウェ大親分」、教会は「組」、礼拝堂は「組事務所」、信仰は「仁俠道」、信徒は「やくざ」…。きまじめなクリスチャンから見れば、怒りを買いそうだが、書かれていることはまじめ。“大親分は一方的に自分たちを「仁俠道にきちんと適ったやくざである」ということに<してくれている>のである。実際に仁俠道に適っているかどうかは別として、大親分はそういうことにしてくれるのだ。だからそんな大親分を信頼していればそれでいい。”ルターの説はこうなる。
 著者は、旧新約聖書は勿論のこと、註解書や概説書をよく読み、解釈の分かれる点もきちんと踏まえた上で、小説に仕立てている。青野先生の専門とされる分野でも、ヘブライストとヘレニストの対立など、きちんとおさえている。また、各省の末尾には「解説」も付されている。平尾バプテスト教会の信徒なら、受け入れられるのでは。
発行はちくま文庫(2016年12月刊)


T.S 兄

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2017年2月19日 今までの20年間、これからの20年間

2017-03-02 18:40:06 | 教会員の証し
今までの20年間、これからの20年間

 これを書いている今日は、私の20歳の誕生日です。
もう20年?まだ20年?どちらにしろ、私は大きな怪我や病気などせず20年生きてきました。今までの20年間は本当に恵まれた生活でした。決して裕福と言われる生活ではありませんでしたが、学校も通うことができ、ご飯も毎日食べることができました。
 私は今までの中でたくさんの大きな決断を迫られました。中学校はどこに行くのか?大学はどこに行くのか?卒業後はどこに行くのか?何をするのか?その中でたくさんのクリスチャンの友達、年上の人に話を聞いてもらいアドバイスをもらいました。その方たちの存在がなければ、精神も身体もこんなに元気ではないでしょう。
 また、神様の存在も大きく感じました。特に編入か就活の選択の時でした。私は自分では決められないので、全て流れに身を任せていました。すると、本当にトントン拍子で物事が進みました。こんな経験は初めてでしたのでびっくりしました。4度の面接も、筆記試験も、私が想像もしなかったようにうまく進みました。あー、これが多分神様が用意してくださった道なのかなーと強く感じました。
 そして、春からはいよいよ社会人です。これからの20年は一生懸命に仕事を頑張りたいです。私が思っている以上に厳しい世界だと思います。その中で神様はどんな試練を、また恵みを与えてくださるのか楽しみです。20年で私はどのような道を進むのか全く分かりませんが、神様に委ねていけば、失敗したとしても、きっと頑張れると思います。また、神様が決めておられるパートナーを静かに見つけていき、あったかい家庭を作りたいです。


U.S 姉

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2017年2月12日 留学に至るまで

2017-03-02 18:34:26 | 教会員の証し
留学に至るまで

 私は現在西南学院大学文学部外国語学科英語専攻に通っています。素晴らしい仲間に恵まれ、勉強にアルバイトに充実した日々を過ごしていますが、そんな私には中高時代から叶えたい小さな夢がありました。それは海外留学です。
 日本で生まれ育った私にとって、第二の故郷でもあるイギリスでの生活は憧れであり、日本では学べない分野に触れることができるため、イギリスで勉強したいと強く思っていました。結局、中高生では少年少女会の役員や生徒会などを経験させていただいたのもあって留学はしませんでした。本格的に大学受験について考え始めた高校三年生の時、志望校の西南学院大学の留学制度について知る機会がありました。西南学院大学には派遣留学制度というものがあり、この制度を利用することで私費留学よりも安く、また安全に海外で学ぶことができると思い、絶対に西南に入学して留学しようと決めました。
 無事受験に合格し、入学してからは英語力を高めるために資格の勉強に励み、基準の成績を満たせるよう必死に授業を聞いていました。それだけでなく、提携している大学の情報を常にチェックし、自分にあった大学探しをしました。応募する学生のほとんどが自分よりも年上なので正直留学の選考に選ばれるのか不安でいっぱいでした。
 しかし達成したい夢のために努力し続けた結果、イギリスのヨークシャーにある大学に一年間留学させていただけることになりました。イギリスに行くからには親戚に会ったり、大好きなロンドンでショッピングしたり楽しみながら勉強していきたいと思います。お土産話を楽しみに待っててください!!


N.E 姉

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2017年1月22日〜2月5日 信仰告白

2017-03-02 17:42:10 | 教会員の証し
信仰告白

 私が初めてキリスト教と出会ったのは大学に入学した時です。それまでは神様の存在を全く知らずにいました。神様の存在を知らずに生きていた私は自分のことを価値のないものだと考えていました。運動音痴で、勉強ができたわけでもなく、他にこれといった才能があったわけでもないと感じていた私は、自分に自信がなかったのです。正直に言って、当時私はこんな自分のことが嫌いでした。
 そう考えながら生きているときに、私は大学に入学し、そこでキリスト教に触れることになります。キリスト教に触れるうちに私はある物語に興味をひかれました。それは放蕩息子のたとえ話です。放蕩息子について書かれたルカによる福音書15章21~25節には次のようにあります。
 「息子は言った。『お義父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持ってきて、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物をはかせてやりなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。」私はこの箇所を読み、神様の愛について感じることができました。神様の愛は正しい人ではなく、罪深い人にこそ注がれるものであり、神様にとっては罪人であっても価値ある存在であるということです。
 自分のことをつまらない、価値のない人間だと思い、自分を否定し続けていましたが、そんな私でさえも神様は私を価値ある者として肯定してくださいました。自分に価値がないと感じていた私にとって、これは大きな喜びでした。これを機に、私はキリスト教に興味を持つようになり、大学で積極的にキリスト教を学ぶようになりました。
 私が初めて大名クロスガーデンに足を踏み入れたのは、LIFTという集会です。大学のチャペルで紹介があり、何となく行ってみました。そこではバンド演奏や親しみやすいお話などがあり、大学のチャペルや講義を通して抱いていた教会のイメージとはずいぶん違う者であり、本当に楽しい時間でした。それを機に大名クロスガーデンに行くようになり、ただ忙しい出来事があったりしてなかなか教会に来れない時期もありつつ、今年の2月くらいから本格的に通うようになりました。
 また私が教会に通うようになった理由はもう一つあります。それは大学のサークルの友人の吉田君が教会にいたことです。教会に来て初めの頃は彼と話すために来ていたように感じもありました。
 LIFTの集会とこの教会を通じた友人との交流によって私は教会に導かれました。今思えば、これらの出会いは私が教会に来るようになるための神様の計画だったのでしょう。そして私は大学を卒業し、社会人となり、とある病院に就職しました。就職先は決して悪い企業というわけではないのですが、それでも、慣れない社会人生活の中で日々の忙しさに追われ、ストレスだらけでくじけそうでした。その時私はかつて受け取った神様の愛を完全に忘れていました。
 そんな時私は偶然、とあるみことばに出会いました。それはマタイによる福音書11章28節「疲れたもの、重荷を負う者は、誰でも私の元に来なさい。休ませてあげよう」です。忙しい日々の中で安らぎを求めていた私は、このみことばを通して、神様の元にこそ安らぎがあるのだと思いました。
 そして、私は安らぎを求めてより熱心に教会に通うようになりました。そうするとお話の一つ一つが新鮮に感じられ、時に私を慰め、時に私をワクワクさせてくれました。そのころから教会内での交友関係が広がっていくのが感じられました。教会の人々は皆とても親切で魅力的な人でした。教会で聴くお話や様々な人の交流を通して、今まで忘れていた神様の愛を想い出すことができました。この出来事を通して私はバプテスマを受ける決心をしたのです。
 バプテスマを受ける決心をした私は、少しずつ聖書を読むようになりました。聖書を読んでいる時間というのは本当にストレスから解放されて、リラックスできました。教会で過ごす楽しい時間や、聖書を読み心が解放された時間がきっと神様の元で休むということなのだと感じました。
 一度神様のことを忘れていた私を神様は再び救ってくださったのです。私はこれから大切にしていきたい言葉があります。それはマタイによる福音書7章7節「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば与えられる」です。
 私はこれからもストレス社会で苦悩することもあるでしょう。だからこそ私は神様の愛と復活の軌跡を信じ、これからも希望を見出していくのです。今のこの素直な気持ちで神様を信じ主日礼拝を中心として神様と共に歩み続けます。


K.Y 兄

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2017年1月15日 いよいよ!!!

2017-03-02 17:42:10 | 教会員の証し
いよいよ!!!

 いよいよ今週末の21日より、私が長い間待ち望んでいた映画、「沈黙」(原作:故遠藤周作、監督:アメリカ映画界の巨匠、マーティン・スコセッシ!!!)が封切られます!!!(興奮!)
  
キリスト教をテーマにした作品で、教会の皆さんの中にも原作を読まれた方も多いと思います。
 私は日頃から結構本は読んではいるのですが、普段はもっと砕けたエンターテイメント小説ばかりです。この作品はたまたまバプテスマを受けた後に読む機会があり、何気なく手に取ったのですが、読み進めていくうちに非常に引き込まれました。
 江戸初期のキリシタン弾圧の時代を舞台に描かれた作品で、人間としてもクリスチャンとしても、色々と考えさせられる作品ですが、私ごときがこの場でそのテーマについて述べるなんてことは恐れ多いのでやめておきます。ひとつだけ言えるとしたら…情けない話ですが、もし私があの時代同じ立場に置かれたとしたら、拷問を受けると分かった時点ですぐさま転んでしまうと思います(笑)。
 御存じとは思いますが、マーティン・スコセッシ監督はアメリカ映画界を代表する映画監督で、昔から大好きです。個人的には「タクシー・ドライバー」「ミーン・ストリート」等、ロバート・デ・ニーロが主演する作品が特に好きなのですが、マフィアや社会のはみ出し者等が主人公で、過激な暴力描写など社会の闇を抉り出すような作品が多く、なぜか昔から惹かれるものがあり、いつもこの監督の作品はチェックしています。
 監督自身も敬虔なクリスチャンらしく、「沈黙」には28年前に出会い衝撃を受け、必ず映画化したい!ということで、それから紆余曲折があったようですが、ようやく完成にこぎつけたということです!(先日NHKのBSで特番を放送していました)
 皆さんも是非、劇場に足を運ばれては?


M.A 兄

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2017年1月1日 2016年は…

2017-03-02 17:37:30 | 教会員の証し
2016年は…

2016年も昨日で終わった。本当に恵みにあふれた年だった。
 恵みがあったのは教会生活だ。大学生となった一昨年の4月から約1年私は教会から離れていた。行きたくなかったわけではなく、初めて自分で教会を選ぶということに力が出なかったのだ。しかし、神様は簡単に離れさせてはくれなかった。
 去年の8月に行われた「伴走ひろばin 天城」に参加するにあたり、教会に行かなくてはと強く思わされた。その思いが与えられた私は仙川教会の礼拝に行くようになった。仙川教会は礼拝規模が30人ほどの、平尾教会に比べて小さな教会だが、「一人一人の賜物を活かす」という目標のもとに教会員が喜んで奉仕をしている、とても温かい教会だ。
 高齢の方が多い教会のため、若い私は熱い歓迎を受け、行き始めて3回目ぐらいには礼拝内でユースの賛美リードをするようになっていた。実は、私が行くようになったのは、それまでリードをしていた青年が海外にボランティアに行く直前の時で、リード奉仕者を求めていたそうだ。
 そのことをあとから聞いて、これまでさほど神様の計画を感じてこなかった私だが、その時ばかりは神様の導きを強く感じた。私が東京に来たのもやはり何か目的があるのではないかと思えた。
 先日のクリスマスも仙川教会で祝うことができた。そこでもまた神様は計画を見せてくださった。
 賛美の奉仕は当たり前のごとくあったのだが、他にもなんとトーンチャイムの演奏をするということがあったのだ。初めは嫌々ながらも、幼稚園のころから10年近く(以上?)チャイムをしてきた私なわけだが、まさかこんなところで演奏する機会が訪れようとは思ってもみなかった。身体に染みついていたことで、打ち方指導もすることになってしまった。それでまた献金の際のリコーダー伴奏もするというのだから驚きである。これも平尾で数年やってきたからだ。
 神様の計画は私なんかにはまったく予想できない、驚きの連続であった。というわけで、現在私は賛美リードという奉仕に、良い意味で捕まり、喜びを持って教会生活を送っております。また、普段は違うところにいても、いつも平尾教会のみなさまの健康と神様のお守りをお祈りしています。
 「この神のしるしは、いかに偉大であり不思議な御業は、いかに力あることか。」(ダニエル書3章33節)


T.K 兄

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2016年12月25日 今年のクリスマス

2017-03-02 17:31:20 | 教会員の証し
今年のクリスマス

 小学生の頃、初めてイエス様の話を聞いた。教会学校担当の学生さんが、実にいきいきと聖書の物語を語って下さった(その学生さんは、確か、熊本で牧会を担っておられるはずだ)。現在平尾教会に集う子ども達も、きっと聖書の話を覚えていてくれるだろうと願う。
 大学生の頃、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(伝道の書12:1)とのみ言葉を友人に伝えたいと祈った。はて、神様を知るのに、早けりゃいいのか?すべての事に時があると聖書にあるではないか。神様を知ったそのときこそが、その人の若い時なのかもしれないと思う。母となって、子育てが難しかったと痛感した時期がある。子育て中はそんなこと、ちっとも気がつかずにいたからだ。反省もなかった。今でも丁寧な子育てをしてこなかったのではないかと思うことがある。だが、気がついたその時から、やり直せるのではないかとも思う。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させてくださるのは、神である」(コリント第一の手紙3:6) のみ言葉で、子育ての悩みを神に委ねることができるようになったからかもしれない。お気楽な子育てだったかもしれないが、毎朝「主よ今日もあなたが共にいて下さい。」と祈って家族を送り出すようになり、現在に至っている。
 私は聖書をとってもよく読む人ではない。知っている箇所も少ない。わたしの日常はというと、仕事で小さなミスでもあったりすれば意気消沈するし、他人の言葉にカチンときたりもする。つくづく心の狭い人間だ。そして、世間の出来事にも一喜一憂する。心が痛むとはこんな感じか?いや、もっと苦しいんだろうと思ったりもする。自分では何もできないが、そこにこそ、イエス様がいてほしい、いや、イエス様の存在を感じてほしいと祈る。キリスト者としての生活が何十年にもなるのに、悔い改めを迫られることばかりだ。
 社会においても家庭においても、この世的には平和でない日もある。それでもこんな私の真ん中にいつもイエス様がいて下さいと祈る。信仰を守ってくださいと祈る。祈らずにはおれない。なぜならば、弱いからだ。そんなわたしのクリスマスは、わたしの内にイエス様を感じる時だと思う。
 平尾教会に来た最初の頃、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」(第一テサロニケ5:16)と書いた小さな色紙をいただいたことを思い出す。
今年のクリスマスはなんだか嬉しい。


S.K 姉

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