ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

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『雨瀟瀟・雪解 他七編』 永井荷風 著 岩波文庫 ☆ この他七編から『狐』について

2016年11月07日 | 今日の一冊 etc.
           

 『狐』は、荷風が著した作品の中でも秀逸の一作だと私は思っている。
 
 中勘助の『銀の匙』はあまりにも有名だが、荷風が描いた『狐』は、存外、知る人ぞ知るの、状況である。
 なんと残念なことか。
 私にとって『銀の匙』より、はるかに興味を持った作品が『狐』だった。


 維新後、官僚として文字通り立身出世した主人公の父親は、かつて武家屋敷三軒分の敷地に大邸宅を建て棲んでいる。その敷地には、古井戸があり、木々がうっそうと茂っているらしい。この風景の描写がいい。その薄暗さや、落ち葉が重なり合って、じめっとした感じが、じわっと伝わってくるのだ。

 ある日、飼っている鶏が狐に襲われるのである。
 立身出世の父親は激怒し、狐狩りをするという。
 そこから始まる大騒動の顛末が、綴られる。
 狐は、稲荷信仰として地を鎮める存在として江戸の路地のあちこちの祠があり、千代田城(江戸城)にも大いにに縁があり、江戸の市井の人々の身近な信仰の対象でもある。

 近代思想の持ち主である父親は、それらの旧習をものともせず、赤穂の仇討ちの如く、狐を討ついう。
 そこで、注目すべきは、母親の立ち位置である。
 江戸の市井の人としての狐信仰と、夫の主張に従う妻としての、書き分けが見事しか言いようがない。かつて日本の社会や家庭において<個>としての存在が優先するのではなく、あくまでも<立場>として、その役割を担う存在であることが優先される。
 このように日本人はなんらの葛藤もなく立場の論理で行動した。そのことが主人公の母の姿に如実に描かれており興味深い。(市井に生きる普通の日本人が<自我>とか<個>について、考え始めたのは、いつごろからなのだろうか。知識人としては漱石あたりなんだろうが……。)

 基
 そして、鶏を一羽を襲った狐をついに仕留めたその祝宴のために、鶏を二羽を絞めて馳走にした。その不条理を荷風は綴る。


   眠りながら、その夜私は思った。あの人達はどうして、あんなに、狐を憎くんだのであろう。
   鶏を殺したとて、狐を殺した人々は、狐を殺したとて、更に又、鶏を二羽まで殺したのだ。


 と、物語の末尾に書く。

 これは、正直な荷風幼児期の記憶であろう。
 狐退治の宴たけなわのなか、そのざわめきを耳にしつつ、幼児の荷風は自室のふとんの中で、じぃっと、思ったのだろう。
 なぜ、狐は退治され、そのために、鶏二羽が殺されたのかと。
 この時の荷風に、私は興味をかき立てられるのだ。

 しかし、幼児期の記憶を思い起こし『狐』を著そうしたとき、既に荷風は、鶏と狐をめぐる不条理に気付いていたはずだ。
 この不条理こそ、もうすでに、ここには、江戸という時代がまぎれもなく終焉し、明治という近代へと生きる日本人の意識のありようであろう。

 荷風は、一葉が亡くなったとき、嘆きに嘆いたが、彼自身裡にも、江戸の文化や人間観は、すでに消えかけていたと、私は思えてしまう。

 私は、なぜ、荷風に惹かれ、興味を抱くのか、この辺に根拠があるのかも知れない。


 五分もあったら読めてしまう短編だ。
 今は、青空文庫でも読める。
 
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