WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

魂へのバッハ

2015年03月11日 | 今日の一枚(various artist)

 ●今日の一枚 425●

魂へのバッハ

 3.11である。もう4年だ。あの大津波の翌日だっただろうか。避難所になっていた地元の中学校で、かつての教え子に出くわした。彼女は私を見つけると駆け寄り、興奮した様子で堰を切ったようにしゃべりはじめた。用事があっていっていた市街地で津波に遭遇し、一旦流されたが必死の思いで逃れたのだという。衣服はぴじゃびじゃに濡れてしまったが、たまたまそばにいた人の好意で服を貸してもらい、なんとかこの地元の避難所まで辿りついたのだそうだ。彼女はそしてこう続けた。山形に嫁ぎ、子どもをつれて里帰りしていたのだが、実家の母親に子どもを預けて用事に出かけていた。子どもと母親の消息がわからない。そういって彼女は泣き崩れた。携帯電話も流されて連絡のつけようがないとのことだった。私は、電池がなくなってもかまわないから使いなさいと携帯電話を差しだしたが、何度かけなおしても通じなかったようだった。彼女の実家は海の近くであり、家屋は流されたはずだ。翌日、避難所で再び彼女に出合ったのだが、まだ子どもと母親の消息は分からないとのことだった。私は、その時知っている限りの探す方法を教え、希望を失なわないよう声をかけたが、それ以来、避難所で彼女と会うことはなかった。現在に至るまでそのままだ。彼女と、彼女の子どもと、そして彼女の母親がどうなったのかはわからない。ただ、無事を祈るのみだ。

 30代の頃だったろうか。ちょっとしたことがきっかけでクラッシック音楽に目覚め、毎日興奮して聴いていたことがあった。このコンピレーションアルバム『魂へのバッハ』は、その頃購入したものだ。クラシックへの入門編として、かなり聴きこんだCDだ。

 3.11の、その後の数日間の避難所のことを思い出すと、このアルバム所収の、③ 「神よあわれみたまえ」(『マタイ受難曲』より)が頭の奥の方から聴こえてくる気がする。逆に、この曲を聴くとその時の情景が浮かんできたりもする。その雰囲気があまりにぴったりだからだろうか。避難所になった中学校の、体育館の更衣室につぎつぎと遺体が運び込まれてきた光景が、記憶に焼きついて離れない。尋ね人を捜すホワイトボードに書かれた見覚えのある名前が、そのいつまでもいつまでもずっと残っていた文字が、今もありありと思い出される。息子の同級生の、一緒に少年野球をやった仲のいい友だちの名前だ。避難所となっていた体育館で行われた卒業式で、答辞に立った代表生徒の、「天が与えた試練というには,むごすぎるものでした」「命の重さを知るには大きすぎる代償でした」という言葉は、マスコミに取り上げられて全国的に有名になった。彼は、息子とも、行方不明の生徒とも、保育所の頃からずっと一緒の仲のいい友だちだったのだ。その行方不明の生徒は、後に遺体で発見された。

 音楽は現実を変えることはできない。けれど、「神よあわれみたまえ」の悲壮なメロディーは、幾ばくかでも我々の魂を浄化してくれる。それはおそらくは受苦的であるということと関係がある。音楽が、悲しみや苦しみを分かち合ってくれるように感じるのだ。素手で立ち向かうにはあまりに辛い現実もある。音楽が自分自身を支える手助けとなることもあるのだ。かつて暗すぎて敬遠していたこの曲が、今は優しく心に響く。おそらくは商業的な戦略としてつけられたであろう『魂へのバッハ』というタイトルが、今となっては身に沁みる。



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