WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

渚にて

2013年11月17日 | 今日の一枚(I-J)

◎今日の一枚 359◎

Joe Sample

Carmel

 近所にある瓦礫焼却場での焼却作業が終了しいたらしい。数日前までは24時間もうもうと見えていた煙も、昨日からはもう見えない。瓦礫焼却場の周囲には広大な瓦礫分別場もあり、かつて美しい渚があったこの海辺の地区は、夜になると辺り一面に照明が点灯され、まるで巨大な要塞都市のようになってしまった。施設は12月中には解体されるということだ。そのあと、かさ上げ土地整理事業が始まるのだろう。美しい渚は復活するのだろうか。

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 ジョー・サンプルの1979年作品、『渚にて』である。学生の頃、ジョー・サンプルに熱病のようにハマり、毎日何度も聴き続けたことがある。といっても、後から振り返れば、熱病はわずか数週間でさめ、聴いたアルバムも結局、『虹の楽園』と、この『渚にて』の2つだけだったのだが・・・・。

 ずっとレンタル・レコードから録ったカセットテープで聴いていたのだが、カセットデッキが故障したこともあり、輸入盤の安いやつを買ってみた。しかし、こんなジャケットだったろうか。構図は記憶している通りだが、もっと、品のいい、お洒落でセンチメンタルな雰囲気のジャケットだと思っていた。ジョー・サンプルの顔がデカすぎる。そのデカくてゴツすぎる顔が、センチメンタルな構図を裏切っている。

 美しく気品のあるアコースティック・ピアノだ。いまでも耳が憶えている。リズム隊がしっかりしているのだろう。美しいだけでなく、サウン全体にメリハリがある。とても良い演奏だ。しかし、とても良い演奏だが、やはり聴きあきしてしまう。何というか、何度か聴いているうちに、予定調和的な感じがしてしまうのだ。結果的に私は、ジョー・サンプルのアルバムによって、フュージョンは聴きあきするということを学んでしまったようである。それは「先入観」なのかもしれない。けれども、その後の人生で私が出会ったフュージョン・ミュージックのほとんどは、やはり聴きあきするものだったような気がする。それでも、数年に一度聴いてみようかと思ってしまうのは、やはり音楽の力なのだろう。あるいはそれとも、若き日々への憧憬にすぎないのだろうか。

 アメリカ西海岸の地名である、タイトルの"Camel" を、『渚にて』という日本語に置き換えたのはいいセンスだと思う。ちょっと古風な感じもして私は好きだ。ただ、核戦争をテーマにした小説/映画の『渚にて』("On The Beach") との関係がいまひとつ不明である。小説『渚にて』は1957年に書かれ、映画は1959年に公開されている。このジョー・サンプルのアルバムに『渚にて』と命名した人物の念頭には、小説/映画があったはずであり、それとの関係が私には興味深い。