鎌倉評論 (平井 嵩のページ)

市民の目から世界と日本と地域を見つめる

教育勅語復活は天皇君主制を復活せよということ  国民主権の民主主義とは相容れない

2017-03-21 17:49:14 | 日記

教育勅語を子供の頭に叩き込み、子供たちがかわいい声でそれを朗々と暗唱しているさまは、戦中のあの天皇君主制の時代をほうふつとさせる。戦中派の筆者にとっては、あの子供たちが自分の姿に見えてくる。同じ年頃だった筆者らも、皇居を遥拝したり、校長の教育勅語朗読を最敬礼しながら聞かされた。その天皇の名のためということで、負け戦は長々と続き国民の幾多の命が無駄に失われた。天皇のために国民の命は消耗品のように使われた。あの政治思想は忘れることはできない。

森友学園の校長は自信をもって叫んだ。「この教育勅語のどこが悪いんですか!」おそらく彼の頭は勅語の次の文句を思い描いている。「(現代語訳)父母に孝を尽くし、兄弟仲よく、夫婦仲睦まじく、友人は信頼しあい、行動は慎み深くし、博愛は衆に及ぼし、学を修め、仕事を習い、もって知能をさらに高め、徳と才能を磨き、進んで公共の利益や世間の務め尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従い、一旦緩急あれば義勇をもって公に尽くし・・・」たしかに、国家が指導する道徳として文句のつけようがない。

この道徳訓にはだれも反対できないだろう。籠池校長が言うように、どこが悪いんですか、と思わせる。むしろ代資本主義下の荒廃しつつある社会道徳に必要なものと思われる。どの宗教にも同じような道徳思想が説かれている。普遍性のある道徳といえる。

だが教育勅語には現代民主主義思想とは相容れない決定的要因が含まれている。それは最初の部分、「朕おもふに我が皇祖皇宗国をおさむること宏遠・・・」と最後の部分「・・・以て天壌無窮の皇運をたすけよ。」というところだ。

これはつまり君主天皇が国民に向かって命令している形であり、こうした道徳修行もすべて皇室のためであると言っているのだ。つまり教育勅語全体は、硬くて古くなったパン粉でくるまれた甘いあんこのようなものなのだ。この民主主義の国民には口にすることできない代物だ。

阿部総理大臣はどうやらこの民主主義には反する天皇君主制を教える学校をこっそり支援していたようだ。やっはりこの政治家は民主主義より君主制に戻りたいという反動政治家というとだろう。懸命に民主主義を実行している現在の日本には裏切り者ということだ。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 一票賛歌   個人の尊厳を... | トップ |   

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。