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迷歩録   しゅくしゅ

2017-05-19 12:24:15 | 日記
  <strong>初鳴きや  新鮮沁みる  不如帰  皐月の空に  響き渡るや


                                <strong>ひのひら  ろくべえ




    魚の寄生虫アニサキスが話題となっている。寄生するものは様々な物が存在する。その現象を他人の力にすがったり、

   その利益を食い物にしたりして生活する人をののしり、あわれんで言う語、(広辞苑)とある。

    そうだろうか人間は集団生活が基本の動物、その本能に集団性があるとすれば、常に誰かに互いに寄生しながらでな
  
   いと生きられないという法則が成り立つ。そのことをネガチィブに捉えてしまうと、考え方として行きづまってしまう。

   人間は相見互いの存在、寄り添い寄りかかり、寄り添われ寄りかかられ生きているのが人間ではないだろうか。企業でも寄

   生企業というものは存在する。という風に考えると、どのような組織に、どのように寄生するかで自分の人生は決まる面

   もあるという事ではないだろうか。

    つまり人間はどのような「しゅくしゅ」(宿主)を持つかという事がとても大切と言う事が言えるのであろう。この宿

   主によって、自分というものが間違った方向に導かれる可能性だってある。つまり、大人っとなって判断力を持つことが

   できる自分であるのならば、宿主を判断して、選び、自分の生きる所としての場所を見つける必要があるのではないだ

   ろうか。特に人間の場合精神に何を寄生させ、何に寄生するかは人生を大きく左右することにもなりかねないのである。

   精神に寄生する考え方というものは、人生を左右する。そのいい例が宗教という寄生がある。良いう場合もあるが悪い場

   合もある。いずれにしても自分で情報を選び、自分で判断して、自分で行動を起こし、自分で責任がとれれば問題はない

   のだが、互いに寄生してる人間同士、自分さえよければいいという事にはならない。つまり他方に影響を及ぼすことになる

   覚悟が必要ということになるのであろう。その覚悟をして、楽しむところにスリリングが存在するのかもしれない。

    いずれにしても、「しゅくしゅ」(宿主)を選べるものは、何の問題も存在しないが、世の中には選ぶことができない人

   も存在するのである。

   その時の「しゅくしゅ」(宿主)は、宿主としての責任がある、それは人間は相見互いだから、寄生でありながら宿主であ

   るという法則の中で集団生活を行っているのだから、責任が生ずるのである。つまりこの責任を少なからず全うしょうとす

   る姿勢が求められるという事ではないだろうか。

    一時的にしろ長期的にしろ、寄生でありながら「しゅくしゅ」(宿主)であることを理解した上での援助というものを考

   えなければ、自己満足的な援助という域を脱することは難しいのではないだろうか。何事もネガティブに捉え判断するので

   はなく、ポディティブに捉えることで展開を変えるという事も時には必要であろう。

    目指したい、良き寄生としゅくしゅ(宿主)。
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