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迷歩録   そうじょう

2017-04-18 11:44:10 | 日記
   雨の後  黄砂訪れ  本番に  上着を脱いで  畑耕す

  
                              ひのひら  ろくべえ





    「そうじょう」とは、宋襄の仁の宋襄である。これはつまらない同情という事だそうな、過剰な親切心の事(広辞苑)

    とある。とかく人間は他者のことが気になる動物、集団性を維持し、集団の中で生活をしていくしか生きられないから

    集団性を大切にする心は備わったもの、しかしその心が過剰に反応してしまうと、おせっかいになったり、過剰に親切

    となり、プライバシーまで踏み込み、相手の心お構いなしとなってしまうことになる。そのことに本人が気がつけば問

    題は起きないのだが、気がつかなければ、いつまでも過剰な親切を続ける。これは相手にとっては迷惑の何物でもない

    のに続けれれる。そのことが近隣トラブルとなっいたり、友人トラブルとなってしまい、逆に集団の中から孤立とい

    う、人間いとっては最悪の集団性を失う方向へ向かうことになる。そうなると集団性を失う不安が起こり、その不安が

    攻撃性と変化して、、友人や近隣の人々を攻撃する、そのことでさらに孤立化を促進していくという、悪循環の中には

    まり、結果的には犯罪などに手を染めることにもなりかねないのである。

     人は困った時ほど手助けを求めるが、その手助けは、ほどほどを求めているもので、援助側のボランティア精神を満

    足させるほどのことを求めているのではないのである。過ぎたるは及ばざるがごとしである。

     つまり援助というものは、援助が必要な人のためのもの、援助する側のものではないのである。教育だって教育する

    側のものではなく、教育を必要としている側のものである。福祉も福祉を必要としている側のもの、医療も医療を必要

    としてる側にのもの、そのことが経済性の中で勘違いされて、経済を優先するもの、高収入を得る手段とかしてきてし

    まい、過剰な援助を行う事で賃金を得ることになり、そのことを発展と思い込んでしまっている。特に医療の場におけ

    る薬局の存在である。診察を終え、処方箋で薬を請求し、受け取る時に薬剤師がしつこく、病状など聞いてくる、患者

    今、診察の時に医師に話してきたのに、薬の処方権限もない薬剤師に話しても解決できないのに、話を聴くという行為

    を、行ってくる、そのことで、保険からの単価を加算しようとしているだけなのだが、患者にとってはメリットは何も

    ない。ただ単にしつこく聞かれるだけである。面倒な事なのに、あたかも親切なように、薬にかこつけて聞いてくる。

    このような行為は、何故厚生省が認めたのか不思議であるが、国保から支払われていることを知るべきであろう。

     宋襄(そうじょう)過剰な親切で利益を得る行為は、援助でも何でもない、本当の援助というものを行うためにはむ

    しろ邪魔になってしまう事もある。援助とは相手のためにあるもの、援助する側の経済性を潤すためのものではない事

    を考え、日頃の援助、ケアを行いたいものである。

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