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迷歩録  かんしょう

2016-12-28 10:12:35 | 日記
  <strong>雨やんで  青澄み渡り  静かなり  師走の人や  急ぎ足かな

                            ひのひら  ろくべえ




    「かんしょう」(干渉)とは、他人の物事に強いて立ち入り、自己の意思に従わせようとすること。

    つまり干渉とは、相手の人権など無視して自分の思うようにしてしまうことと言う風に解釈すれば

    世話と干渉の違いが明確になるのではないだろうか。対人援助の場で最も多い間違いがこの干渉と

    世話との間違いではないだろうか。援助者は世話をしているつもりでも、クライアントにとっては

    干渉されているだけと感じる場面が多いのである。その時に使われることが施設の規則ですから、

    仕方がないから、などの言葉を織り交ぜながら強制的に話も聞くことなく当たり前のように、おし

    つける援助をすることではないだろうか。

     人間は環境の動物だから「郷に入れば郷に従え」という諺があるように、新しい環境での主義主

    張はなかなかしずらい。ましてや福祉、教育、医療というような上下関係が構築されている場での

    クライアントという、弱い立場では到底無理な事ではないだろうか。だからこそ、援助者は干渉的

    にならないよう、最善の配慮をして、かかわることが大事なのだが、目先の仕事をしなければなら

    ないということに追い回され、本来の援助とは何か、世話とは何かを忘れた行動をとることが多く

    なるのではないだろうか。

     人間は干渉的にかかわられると、心を閉じてしまう、それは危険というプロセスを悟るからで

    あろう。そうなってしまえば、信頼関係どころでなく、日常的なコミュニケーションすらままな

    らないということになってしまう。そうなると援助者に焦りみたいなものが生まれ、ますます干

    渉的かかわりとなってしまう。悪循環を心の奥底でしてしまう結果となるのではないだろうか。

     対人援助の捉え方の中で、援助か、世話か、干渉かは大事なキーワード、このことを整理して

    対人援助という行為を行う事をお勧めしたい。勿論ボランティアという行為もである。興味本位

    や干渉的な援助ほどクライアントにとって迷惑なものはないことを知ったうえでの援助という行

    為を行いたいものである。世話過ぎたるは干渉である。小さな親切大きな迷惑ということだって

    ある。すべては援助する側の問題、よく考えた行動を行いたいものである。
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