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迷歩録   ぎゃく

2017-04-17 09:58:21 | 日記
  <strong>朝靄に  新緑ひかる  野里かな  雲垂れ下がり  春雨のまえ



                                 <strong>ひのひら  ろくべえ




      「ぎゃく」(逆)とは、反対の出来事、予想外の出来事など、あまり良い印象のある言葉ではない。

     マスコミの話題となっている、千葉県の女児殺害事件、保護者会の会長という衝撃的なことが報道され

     て、ショックを受けている。子供の成長を援護する、援護しなければならない立場の大人、その犯行と

     は、子供たちは何を信じればいいのか、社会の病をさらけ出したような事件、この事件の闇は深いよう

     に感じる。「大逆無動」の行動に呆れるしかできない。人の道にはずれ、道理を無視した行為は、人と

     しての道理に逆らう行動なのである。

      「ぎゃく」という言葉がおおにして、このように使われるのでますます悪いイメージを作ってしまう。

     しかし、「ぎゃく」とはそれほど悪い言葉ではない、マフィーの法則のように期待することの逆なことが

     起きてしまうなどの使われ方や、成功するには時代の逆を歩けなど、逆という言葉も使いようである。

     話は事件の話に戻るが、対人援助の場で行われるいじめや虐待などもこの保護者会の会長と同じ線上に

     あることを敏感に感じ取ることが大切だ。人知れず行われる一対一の時のいけずな行為、その発展系が

     進行すれば殺人という大逆無動な行為も起こしてしまうという事である。

      対人援助の場における、いじめや虐待は表に現れにくい、さらに対人援助の職場は隠蔽体質が強い、

     クライアントは、訴えにくいお世話になっているという心理がある。そのような状況だから、人知れず

     エスカレートしていくことが多い問題だ、最初は言葉だけだったものが暴力になったり、ケアを行なわ

     ない、ネグレクトになったり、様々な行為を繰り返すようになる。その延長線上に殺人などの行為があ

     ることを知っておくことが大切な事ではないだろうか。

      特にいい人と評価を受けてる人は、一生懸命いい人を演じていることもある。その演じることが一人

     になると反動として現れることもある。つまりいい人というのは、自分が欲望を満たすための抑圧とい

     う事もあるのだ、この抑圧が取れるような状況になれば、大逆無動になるという事なのかもしれない。

      対人援助の職場におけるいじめや虐待は、その個人の心の奥底に潜んでいることを自覚し、常にその

     心奥底と戦う心を養う事が大切なのであろう。

      大逆無動とならないためにも、毎日の積み重ねた行動の中にあることを自覚してケアを行いたいもの

     である。

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