後ろのピンク色の3人の猛抗議を尻目に、英国暮らしの必須能力=諦念を発揮し、それでも呆然とそばのカフェにふらふら向かう私であった。
時間は午前11時。
約束の時間午後5時45分までは7時間近くあるのだ。
それに、乗れるかどうか保障できないときた。
私はそもそも暇をつぶすのが大の苦手である。
1人になるときは必ず、暇にならないようにiPod miniと文庫本(か新聞)を持ち歩く。
もちろんこの日も両方用意していた。が、iPodは電池に限りがあるし、文庫本だって読んでしまえば終わりである。それに私は読むのが結構早い。再読もほとんどしない。
朝気がせいて早くホテルを出てきたために、朝食はろくにとっていなかった(酢入りのサンドイッチ除く)ので、仕方なくカフェでスコティッシュ・ブレックファストを頼む。スコティッシュと言っても、ほとんどイングリッシュと変わらない。
私はベークドビーンズが大・大・ダイキライなので、盛り付けないように頼むと、思い切りスコティッシュアクセントのやる気なさそな姉ちゃんは怪訝そうな顔をしながら、干からびたようなベーコンとポロポロすぎるスクランブルエッグを頼りない手つきで皿に盛った。
ベークドビーンズを要らないと言ったんだから、その分ほかのものを多めにしてくれてもいいのに気の効かない姉ちゃんだ。
レジの担当は気のよさそうなひょろい兄ちゃんだった。
おつりを返してくれたのはいいが、どうもお札の色合いに見慣れないものが…と思ったら、スコットランドのお札であった。そう、スコットランドにも実は中央銀行があって、独自の通貨が流通しているのである。それも、何行かの銀行が複数種類出しているものだから、日本人が通常「イギリスのお金」と思っているお札が何種類もあるのだ。
スコットランドはもちろん、イングランド同様英国なので、スコットランドのお金だって英国全土で通用するはずなのだが、実際にはそうはなっていない。ロンドンでは間違いなく、スコットランドのお札は嫌がられる。法律違反だろうけど実際問題そうなのだ。
実は前日、ATMでお金を下ろしたときも出てきたお札がスコティッシュノート(お札)であった。げっ、と思ったが、昨日はその後ここにいる間に使えばいいやと思ったし、実際そうしたので、この時手元にあったのはすべてイングランドのお金であった。
しかし、これから私はまっすぐロンドンに帰るのだ。使う機会は当分来ない。
「イングランドのお札でください」
と言いたい。
言えるだろうか。
このおにいちゃんが実はすごいスコットランドに誇りを持っている人だったら、怒るかもしれない。その誇りを傷つけたくはない。
私は別にスコットランドを蔑視しているわけではない。そんなことができるはずがない。なぜなら、私はイングランド、スコットランド、アイルランド、ウエールズの四つ巴の血塗られた闘争からは蚊帳の外にある単なるガイジンなのだ。そんな意図などもてるはずがない。単に、ロンドンに住んでいて、使うのに支障があるからというだけの理由なのだ。
それをこの人に分かってもらえるだろうか。
私は恐る恐る、そんな血塗られた歴史のことなんて知らない無邪気な観光客の仮面をかぶって言ってみた。
「あのう、イングランドのお金でくれませんか?」
「いいよ」
兄ちゃんはあっさり、見慣れたお札を何枚かくれたのだった。
な、なんだ…
やっぱり、ガイジンのたわごとはどうでもいいらしい。
はあ、とため息をついて禁煙席に座る。
料理は美味しいとは言えない。
そこで思いついた。電車で帰るってのはどうだろう、と。
すぐに、携帯でロンドンの友達に電話して、事情を話して電車の時刻と所要時間と料金を調べてもらった。確か、グラスゴー・セントラル駅からVirgin Trainが出ているはずである。
しかし、友達の調査結果はこうだった。
「えっとね、Virgin Trainだと乗り換え3回でロンドンに4時間半で着くよ。…でも、当日料金だから100ポンド越えるね」
…100ポンド。100ポンドはデカい。それでなくてもここに来るだけでも予定外の出費なのである。
次の飛行機に乗るのでさえ追加料金40ポンドいるってのに。
私は電車をあきらめ、覚悟を決めてバゲージ・クレームの場所へいき、一番すみのソファに陣取った。そのソファは布ばりで、体温は奪われないし、3つ続いているのでごろんと横になることが出来る。不幸中の幸いだった。
買ってきた新聞もあらかた読んでしまい、文庫本も読み終え、音楽にも飽きた。
そこで昼過ぎ、懸案のニューカッスル対チェルシーのサッカーの試合が始まったのだった。
実は、私が朝早い飛行機で帰ろうと思った理由がこれだった。予定通り昼くらいにロンドンに着けば、夕方のサッカーの試合に間に合うはずだった(自宅観戦だが)。
しかし間に合わなくなってしまった以上は仕方ないので、携帯でサッカーサイトに15分おきくらいにアクセスし、成り行きを見守ることに。
ところが、なんとわがチェルシーは開始早々1点入れられてしまったのである。
得点を見た時、わが目を疑った。
ニューカッスルなんかに、こんなに早く入れられるなんて!
15分おきくらいにアクセスし、じりじりしながら同点ゴールを待つ私。
しかし、結局それはならず、チェルシーはFAカップから脱落してしまったのだった…
実は後で聞いてみると、壮絶な試合だったらしい。けが人は出る、退場で1人減る、雪でピッチはドロドロ…「ヒナキさん見なくて良かったよ」と言われたほどだった。でも、いまだに「私が見なかったから負けたのかも」と少し思っている。
神経質な私はどうもそんな場所では眠れず、結局目をつぶっていたのは1時間ほど。
暇で暇で死ぬそうになりながら、なんとか約束の時間がきた。
少し待たされたが、無事6時過ぎの便に乗れ、夜にロンドンに着いたのであった。
「次の便に乗れます」といわれた時、例のピンクの3人組はガッツポーズをして喜んでいた。あのう…そもそも、7時間待たされた時点で収支は大赤字なんですが? そんなにうれしいですか?と思った。しかし、さっきのことはころっと忘れて「今この刹那を楽しむ」能力が、英国人の強みなのかもしれないと思った。
その3人は、乗り込む時すれ違いざまに意味ありげな微笑を送ってきた。
どうもこんなところで、妙な連帯感が生まれたらしかった…。
(終)
時間は午前11時。
約束の時間午後5時45分までは7時間近くあるのだ。
それに、乗れるかどうか保障できないときた。
私はそもそも暇をつぶすのが大の苦手である。
1人になるときは必ず、暇にならないようにiPod miniと文庫本(か新聞)を持ち歩く。
もちろんこの日も両方用意していた。が、iPodは電池に限りがあるし、文庫本だって読んでしまえば終わりである。それに私は読むのが結構早い。再読もほとんどしない。
朝気がせいて早くホテルを出てきたために、朝食はろくにとっていなかった(酢入りのサンドイッチ除く)ので、仕方なくカフェでスコティッシュ・ブレックファストを頼む。スコティッシュと言っても、ほとんどイングリッシュと変わらない。
私はベークドビーンズが大・大・ダイキライなので、盛り付けないように頼むと、思い切りスコティッシュアクセントのやる気なさそな姉ちゃんは怪訝そうな顔をしながら、干からびたようなベーコンとポロポロすぎるスクランブルエッグを頼りない手つきで皿に盛った。
ベークドビーンズを要らないと言ったんだから、その分ほかのものを多めにしてくれてもいいのに気の効かない姉ちゃんだ。
レジの担当は気のよさそうなひょろい兄ちゃんだった。
おつりを返してくれたのはいいが、どうもお札の色合いに見慣れないものが…と思ったら、スコットランドのお札であった。そう、スコットランドにも実は中央銀行があって、独自の通貨が流通しているのである。それも、何行かの銀行が複数種類出しているものだから、日本人が通常「イギリスのお金」と思っているお札が何種類もあるのだ。
スコットランドはもちろん、イングランド同様英国なので、スコットランドのお金だって英国全土で通用するはずなのだが、実際にはそうはなっていない。ロンドンでは間違いなく、スコットランドのお札は嫌がられる。法律違反だろうけど実際問題そうなのだ。
実は前日、ATMでお金を下ろしたときも出てきたお札がスコティッシュノート(お札)であった。げっ、と思ったが、昨日はその後ここにいる間に使えばいいやと思ったし、実際そうしたので、この時手元にあったのはすべてイングランドのお金であった。
しかし、これから私はまっすぐロンドンに帰るのだ。使う機会は当分来ない。
「イングランドのお札でください」
と言いたい。
言えるだろうか。
このおにいちゃんが実はすごいスコットランドに誇りを持っている人だったら、怒るかもしれない。その誇りを傷つけたくはない。
私は別にスコットランドを蔑視しているわけではない。そんなことができるはずがない。なぜなら、私はイングランド、スコットランド、アイルランド、ウエールズの四つ巴の血塗られた闘争からは蚊帳の外にある単なるガイジンなのだ。そんな意図などもてるはずがない。単に、ロンドンに住んでいて、使うのに支障があるからというだけの理由なのだ。
それをこの人に分かってもらえるだろうか。
私は恐る恐る、そんな血塗られた歴史のことなんて知らない無邪気な観光客の仮面をかぶって言ってみた。
「あのう、イングランドのお金でくれませんか?」
「いいよ」
兄ちゃんはあっさり、見慣れたお札を何枚かくれたのだった。
な、なんだ…
やっぱり、ガイジンのたわごとはどうでもいいらしい。
はあ、とため息をついて禁煙席に座る。
料理は美味しいとは言えない。
そこで思いついた。電車で帰るってのはどうだろう、と。
すぐに、携帯でロンドンの友達に電話して、事情を話して電車の時刻と所要時間と料金を調べてもらった。確か、グラスゴー・セントラル駅からVirgin Trainが出ているはずである。
しかし、友達の調査結果はこうだった。
「えっとね、Virgin Trainだと乗り換え3回でロンドンに4時間半で着くよ。…でも、当日料金だから100ポンド越えるね」
…100ポンド。100ポンドはデカい。それでなくてもここに来るだけでも予定外の出費なのである。
次の飛行機に乗るのでさえ追加料金40ポンドいるってのに。
私は電車をあきらめ、覚悟を決めてバゲージ・クレームの場所へいき、一番すみのソファに陣取った。そのソファは布ばりで、体温は奪われないし、3つ続いているのでごろんと横になることが出来る。不幸中の幸いだった。
買ってきた新聞もあらかた読んでしまい、文庫本も読み終え、音楽にも飽きた。
そこで昼過ぎ、懸案のニューカッスル対チェルシーのサッカーの試合が始まったのだった。
実は、私が朝早い飛行機で帰ろうと思った理由がこれだった。予定通り昼くらいにロンドンに着けば、夕方のサッカーの試合に間に合うはずだった(自宅観戦だが)。
しかし間に合わなくなってしまった以上は仕方ないので、携帯でサッカーサイトに15分おきくらいにアクセスし、成り行きを見守ることに。
ところが、なんとわがチェルシーは開始早々1点入れられてしまったのである。
得点を見た時、わが目を疑った。
ニューカッスルなんかに、こんなに早く入れられるなんて!
15分おきくらいにアクセスし、じりじりしながら同点ゴールを待つ私。
しかし、結局それはならず、チェルシーはFAカップから脱落してしまったのだった…
実は後で聞いてみると、壮絶な試合だったらしい。けが人は出る、退場で1人減る、雪でピッチはドロドロ…「ヒナキさん見なくて良かったよ」と言われたほどだった。でも、いまだに「私が見なかったから負けたのかも」と少し思っている。
神経質な私はどうもそんな場所では眠れず、結局目をつぶっていたのは1時間ほど。
暇で暇で死ぬそうになりながら、なんとか約束の時間がきた。
少し待たされたが、無事6時過ぎの便に乗れ、夜にロンドンに着いたのであった。
「次の便に乗れます」といわれた時、例のピンクの3人組はガッツポーズをして喜んでいた。あのう…そもそも、7時間待たされた時点で収支は大赤字なんですが? そんなにうれしいですか?と思った。しかし、さっきのことはころっと忘れて「今この刹那を楽しむ」能力が、英国人の強みなのかもしれないと思った。
その3人は、乗り込む時すれ違いざまに意味ありげな微笑を送ってきた。
どうもこんなところで、妙な連帯感が生まれたらしかった…。
(終)










