古代日本国成立の物語

小学生の頃から好きだった邪馬台国と古代史。自分なりに解き明かしたいと思い続けて40年。少し真面目に取り組んでみよう。

古代丹後の里資料館

2017年03月20日 | 実地踏査(遺跡/古墳/神社/仏閣)
 遠所遺跡のあとは神明山古墳と古代丹後の里資料館へ向かったが、ここで大きな失敗をしてしまった。

 実はこのツアーの行程を考えているときに「どこへ行くか」だけでなく「どこを走るか」も重視して頭を悩ませた。ニゴレ古墳の舟型埴輪に見たように、丹後が「古代丹後王国」として繁栄した理由のひとつは、海洋族であった一族にとってこの丹後の地が海運、水運に恵まれていたことがあると考えている。丹後半島西側には浅茂川湖や離湖などの海岸沿いに点在する潟湖があり、丹後半島を縦断するように竹野川が流れ、そして半島東側には外洋から内に入り込んだ宮津湾やその奥には天橋立で仕切られた阿蘇海があり、さらには由良川から加古川を行けば瀬戸内海へも通じる。舟を使って縦横無尽に動き回ることができるのだ。今回のツアーでは各地の遺跡や古墳を「点」で捉えるだけでなく、それらをつながりとしての「線」で考えたり、丹後全体を「面」で感じたいと思っていた。だから走るルートも考えた。

 遠所遺跡から神明山古墳への当初予定ルートは来た道を戻って竹野川に出て、川沿いの国道を北上するというものだった。竹野川を舟で行くように周囲の景色を感じたいと思っていたからだ。竹野川に沿う平地部分は峰山町付近でも海抜が25mほどである。峰山から河口まではおよそ15kmなので川の流れはゆったりしている。だから周囲の山から流れ出た砂がたまりやすい。実際にここに立ってみるとわかるが、この川沿いの平地は本当に真っ平らである。長い年月を経る中で徐々に砂に埋もれていったという印象だ。時間を巻戻して古代にさかのぼると竹野川の河口はもっと手前にあった、つまり海面がもっと奥まで入り込んでいたのではないか。
 丹後を研究しておられる斉藤喜一氏のサイトである「丹後の地名」を拝見すると「『丹後町史(昭51)』によれば、江戸時代の金毘羅(峰山町泉)詣りは、間人方面からなら、多久神社(峰山町丹波)の下までは舟でいったと言われている。」とあり、いずれにしても少なくとも江戸時代までは竹野川の水運が利用されていたことがわかる。

 今回の当初ルート(竹野川沿いの国道482号線)を辿ることによってこのことを体感したかったのだが、もともと時間的に厳しい行程を組んでいたために若干のあせりの気持ちからこのことがすっかり頭から抜け落ちていて、遠所遺跡から神明山古墳へはカーナビが選んだ最短ルート、すなわち海岸沿いの国道178号線を走ることになってしまった。途中で思い出したものの後の祭り。あー、残念。でも、琴引浜や間人海岸を眺めながらのドライブも良かったのでOKだ。

海岸沿いの国道から。




そんなことで神明山古墳へ到着したものの、先に近くにある古代丹後の里資料館を見学することした。資料館は小ぶりではあるがこの田舎にしては立派な建物。


以下は資料館での展示の様子。




 丹後の歴史を理解するために時系列に構成され、遺跡や古墳からの出土物はレプリカではなくほとんどが実物を展示していたように思う。小さな資料館であるが見学後の満足感、充実感は大きかった。時間があれば説明パネルを順に読みながら理解を深めたかったがタイトなスケジュールのためにそれは叶わず、その代わりに窓口で展示ガイド「丹後王国の世界」を購入。

 

 資料館の入館料が300円、ガイドブックが500円。内容の充実ぶりから考えるといずれも格安だ。
 沖縄の「ゆこ」さんがやっておられる「沖縄写真通信」というホームページがある。写真を通じて沖縄の自然・文物などを紹介するサイトであるが、全国各地の博物館や資料館を訪ね歩いた際の詳細なレポートが掲載されており、これが秀逸である。情報収集や知識習得という意味では実際に資料館へ行くよりも役立つかもしれないので是非ご覧いただきたいと思うが、そのサイトで「古代丹後の里資料館」も紹介されており、この田舎の小さな資料館を絶賛しておられる。

 資料館を見学したあとは神明山古墳へ急いだ。
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