古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

花の窟神社(熊野実地踏査ツアー No.9)

2016年11月23日 | 実地踏査・古代史旅
那智の滝をあとにして次に向かったのは三重県熊野市有馬町に所在する花の窟神社。祭神は伊弉冉尊と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)。

以下は神社公式サイトにある由緒。
日本書記に「 一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、其の由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。
花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。此の窟の南に岩あり、軻遇突智神の神霊を祀る。此の神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という旧藩主に於いて、此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付し、且つ高札を建て殺生禁断を布令せられた。
又、昭和23年4月10日天皇陛下が皇太子殿下の当時、熊野地方御見学の途次御立寄りあらせられる。


駐車場のすぐ横にある土産物茶屋の「花の岩屋」をぬけて道路を渡ったところにある鳥居。


伊弉冉尊を祀る。背後は高さ約70メートルの巨岩でこれが花窟の御神体。


軻遇突智尊を祀る。


毎年二月二日と十月二日に行われるのが御縄掛け神事。訪れたのが2月12日だったので御縄がそのままの状態で残っていました。


御縄掛け神事の説明。


日本書紀のたったの一文から生まれた信仰なのか、あるいはこの地で語り継がれた神話が書紀に一書として取り入れられたのか。この巨岩がご神体というだけでなく、これに縄をかけて前に走る国道をまたいで広い浜辺から引っ張るというスケールの大きな神事がこの辺鄙な地で脈々と受け継がれていることに神話の史実性を感じた。熊野信仰が盛んになるずっと前の8世紀初めに正史である日本書紀に熊野が登場していることがそれを物語っているのではないだろうか。



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