トッシーです。いつもありがとうございます。
今日は、こんな言葉を選んでみました。
「どこに行っても自分と道連れ」
なぜこの言葉が気になったかといえば・・・。
今日の写真にあるように、ついにというかやっとというか、もう何年振りになるのでしょうか、我が家の畑に本当に久し振りに野菜の苗を植えました。といっても、正確に言えばKさんに殆どやっていただいたのですが・・・。(笑)
昨日のブログの写真では、苗が畑に植えられずそのままになっていますね。実は昨日植えようと決意し、Kさんが買って来られたナス、ピーマン、キュウリ、トマトの4種類の苗を畑まで持っていったんですね。不自由な足で、ヨタヨタと・・・。
さあ、植えようと苗を手に持って畝の間の通路に入ったのですが、すぐにストップ! 前に進めないんです。理由は簡単、今のままでは通路が細くて、トッシーの足ではふらついて危なくて進めないんです。一歩も・・・。(笑)
リハビリでも頭が痛いのですが、バランスが悪く、こういう歩き方では特にふらついてしまうんです。広い普通の道なら右へ左へふらつきながら歩けるのですが(笑)、この畑のように畝の間が細い通路では難しいです。リハビリでは1本の線上を左右の足を前後にくっつけながら歩くのですが、それがなかなか出来ないんですね。足が出なかったり、バランスを崩して先生につかまったり・・・。
そんな状況ですので、「このままじゃ無理だ」とすぐに取り止め、今日行うことにしました。
で、今日、先ずは通路を広げ、何とか歩けるようにしてから苗を植えました。本来ならトッシーがここまでは自分でやるつもりでしたが、雨が降りそうな気配を感じたKさんが助っ人で来られ、「さあ、やるよ~!」と・・・。
それが早いの何のって・・・。(笑) アッ!という間に修了しました。そして道具を片付け、家に入りしばらく休んでから、いつものコースを歩いてみました。
歩きながら考えたんです。上手く歩けたり歩けなかったりいろいろですが、コレ、他の人に代わってもらうことはできないなぁって。今の足や手は、これからもず~と一緒なんだな~って。
当たり前だけど、いつまでも一緒に行くしかないんだなぁ~。
そんな思いで本をパラパラしてたら、今日の言葉に出会いました。
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どこに行っても自分と道連れ
これはジョン・カバット・ジンのすばらしい著書のタイトルだ。文字どおり、人はどこに行っても自分と道連れだという意味である。
私たちは、もし、べつの場所にいたら----休暇中だったら、べつのパートナーだったら、べつの仕事だったら、べつの家だったら、べつの環境だったら----いまよりもっと幸せになって満足するだろうと思い込む。そうはならないって!
ものごとを悪いほうにとる癖----すぐイライラしたりくよくよしたり、いつも怒ったり、欲求不満にかられたり、ないものねだりをする癖----があれば、その癖はあなたの行く先々についてまわる。これを裏返して考えることもできる。あまりイライラくよくよしないたちであれば、どこに行ってもだれと出会ってもネガティブな考え方には落ち込まない。
ある人に「カリフォルニアの人たちはどんなふうですか?」と質問されたとき私はこう聞いた。「あなたの故郷の人たちはどんなふうですか?」。すると彼は「利己主義で貪欲ですよ」と答えた。あなたはたぶんカリフォルニアの人たちのことも利己主義で貪欲だと感じるでしょうね、と私は言った。
人生も自動車のように、家から外に向かって運転するものだと認識すると、とてもすてきなことが起きる。行きたい場所ではなく自分が今いる場所に意識を向けると、たちまち穏やかな気分になる。そうなれば、どこに行っても、だれと出会っても、その穏やかな気分が持続する。
「どこに行っても自分と道連れ」----これは心理だ。
リチャード・カールソン著「小さいことにくよくよするな!」より
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今日の写真では、ちゃんと4種の野菜の苗が見事に植わっています。
「僕は、ジッとしてられないんやて・・・」(笑) そう言われる Kさんの笑顔が素敵でした。感謝です。
みんな頑張ってるよ。トッシーも頑張れ~!
ついてる。ありがとうございます。感謝しています。トッシーで~す。