A.himeのフォト日記

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はりま風土記の里ウォーク~美濃の里・古墳めぐり

2015-03-12 | 写真と旅
8日(日曜日)友人のお誘いで『はりま風土記の里ウォーク』に参加しました。


出発前の記念撮影

今回は~美濃の里古墳群と神功伝承の麻生山を訪ねて~との企画でしたが、前日の雨でコースが少し変更になったようです。
集合場所が急遽変更になったとかで、時間通りに行ったのに誰もいなくて…^^; スタッフの連携ももひとつで、ちょっと不安な気持ちになりましたが、迷うことなく、置いていかれることもなく、なんとか無事完歩できました。
10時出発、16時頃解散、内昼食タイム1時間で約5時間、参加者は約100名で3班に分かれてのウォーキングでした。万歩計は19327歩。要所要所で丁寧な説明があり、歩いてみたかった古墳めぐりができて良かったです。


見野古墳群(みのこふんぐん) 【姫路市指定重要有形文化財】

見野古墳群和光公園を中心に麻生山麓に古墳時代後期・終末期(6世紀後半から7世紀前半)の横穴式石室を持つ20基の古墳が点在し、殆どの古墳の封土は流され、石室が露出しています。
見野古墳群には2基の大変特徴的な古墳があります。


6号墳『夫婦塚』向こう側にも石室がある

1つは6号墳で、1つの封土に2つの横穴式石室が並行して作られていて『夫婦塚』と呼ばれています。平成18年と平成19年の発掘調査で6号墳は日本最古級の双室墳であることが分かりました。


10号墳『姫路の石舞台』

もう1つは10号墳で、全長11mですが、石室の天井石の長さが5mもある巨石で、姫路市の古墳では1番大きなものです。そのために、奈良県明日香村の蘇我馬子の古墳とも言われる「石舞台古墳」になぞらえて、「姫路の石舞台」と呼ばれています。


3号墳

3号墳の石室は全長11mを超える市内でも最大級の古墳で、古墳に埋葬されている人物は「見野」一帯を支配した小首長であった可能性が高いと言われています。

見野古墳群分布図


阿保古墳群(あぼこふんぐん)

麻生山と仁寿山の谷間に、6世紀から7世紀にかけての横穴式石室を持つ古墳が点在しています。たくさんの古墳が密集していたことから、阿保の百穴(百塚)と言われていますが、早くから盗掘や破壊を受け、現在では平成19年の調査で32基のみが確認されているそうです。今回は案内の石碑から少し入った所のをチラッと見て引返し、豊川稲荷の境内にある2基の説明を聞き、昼食後に、「これも古墳なのかな?」なんて話しながら、少し山に入ったところを時間まで散策しました。


「これも古墳なのかな?」教えてもらわないと見つけにくい


境内にある2号墳 画面の右側に赤い鳥居が設置されていました


2号墳のすぐ側に、小さな小屋があります。その小屋の隅にある穴の奥(地下)にも古墳が・・・これが3号墳です。


宮山古墳(みややまこふん) 【国指定重要文化財】

宮山古墳は5世紀後半の古墳で、直径約30m高さ約2m、3基の竪穴式石室を持つ大形円墳です。この辺りを治めていた首長の墓と考えられています。昭和44年、昭和48年の2回の発掘調査の結果、3つの埋葬施設が確認されました。幸いにも、第2主体、第3主体は盗掘を受けずに完全な形で施設、遺物が発掘され、兵庫県指定の史跡になりました。


現在は第3主体があったとされる場所が柵で囲まれています



播磨国分寺跡(はりまのくにこくぶんじあと)

今から1250年前、 ここに播磨国分寺の大伽藍が建っていました。 南大門、中門、金堂、講堂が一直線に 並び、中門と金堂は回廊で結ばれ、東南の隅には塔があったことが、発掘調査でわかっています。塔の高さは約60m、講堂の北側には僧房や食堂が、またその東には大衆院や国師所などが建ち並んでいました。  これらは東西209m、南北218mの築地塀で囲まれ、その眺めはどんなにか美しく壮観だったことでしょう。


発掘調査により、回廊の一部が記されています。
正面のお寺は同名の「国分寺」と呼ばれていますが、古代国分寺とは全く関係なく、当時の金堂や講堂のあった場所に建てられているので、古代国分寺の全容の発掘調査は困難のようです。


伽藍配置図


配置図模型


塔の遺構 ここに7重の塔があったとされる。

いまは塔の礎石が17個残っているだけですが、その規模から七重の塔が建っていたと推測されています。
国分寺跡は国指定史跡として、又、ふるさと歴史の広場として整備され、燈籠や築地など一部施設が復元されています。


壇場山古墳(だんじょうざんこふん)

国分寺跡から北東へ500m程の所にこんもりと木々が 茂った小山があります。それが5世紀前半に築かれた壇場山古墳(国指定史跡)で、全長約143m、西播磨最大の 前方後円墳です。周囲を濠が取りまいていて、前方部と後円部の間のくびれ部には、造り出しがあったことや円筒埴輪がめぐらされていたことなどがわかっています。





後円部の頂上には、長さ3m、幅1.5mの組み合わせ式長持形石棺が、直接土の中へ埋められており、縄かけ突起が付いた蓋の部分が露出しています。

古墳周辺には陪塚(ばいちょう)といわれる第一、第二、第三古墳があり、すぐ北にある第三古墳は 一辺約50mの方墳で、山之越古墳と呼ばれ、方墳としては県内第一の大きさと言われています。頂上付近には、やはり縄かけ突起を持つ長持形石棺の蓋が露出しているそうです。(今回行きませんでした)

途中、古墳の他に神社などにも立ち寄りましたが…省きます^^;

久しぶりのウォーキング、美濃の里、古墳めぐりでした。


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