わたしの家にはテレビがない、という話題になると、
以前は、
「え?そしたら何をしているんですか?」
という感じの反応が多かったのですが、
この頃は、
「ウチもそうしたいんですけど、なかなかできないんですよね~。」
という反応が増えてきました。
とても興味深く感じています。
わたしは、今のところ、パソコンもなく、インターネットの利用もなく、過ごしています。
スマートフォンはありますが、電話やメール、このblogへの投稿以外は使いません。
テレビやネットに触れないのは、それが嫌いというわけではなく、
他にやりたいことがありすぎるのです。
そして、わたしに楽しみをもたらしてくれるものが、既にたくさんあるのです。
これ以上は要らない、という感じ。
今のところ。
「でも、お子さんはテレビを見たがりませんか?」
とも、よく尋ねられます。
息子は、祖父母の家に時々滞在しますが、その時にはテレビをうんと楽しんでいるようです。
自宅では、息子もやはり、やりたいことがたくさんあって、能動的に過ごしています。
「テレビはたまにでいい」
と、息子は言います。
今のところ。
「何も音がないんですか?
音楽は聴きますか?」
この質問もよくいただきます。
以前は聴くことがありました。
ごく静かな音楽が好きでした。
いまは、プレーヤーなどもなく、静かに過ごしています。
でも、本当は、とても豊かな音楽に包まれて暮らしているのです。
それはそれは、賑やか。
鳥のうた
木の葉のうた
風のうた
虫のうた
雨のうた
そして、よ~く耳を澄ませば、
木々のうたも、
星のうたも、
月のうたも、聴こえるような気がします。
大自然の音楽は、同じことは決してないので、飽きることがありません。
音源がいのちそのものですから、どのくらい聴いていても疲れません。
その上、わたしのいのちが共鳴し、よりよいほうへ導かれていくような気がします。
また、これらのものは、最高の絵画でもあり、一度きりの映画でもあります。
森の色も、空の色も、日の光りも、同じことはありません。
そこへ、とても神妙に、二度とない音が添えられます。
美しいものは世界中にあるけど、わたしには、いまあるもので十分。
そう感じています。
年々、ますます野生化していくようなわたしですが・・・
生きている、という揺るぎない感覚、そして、
世界にただ一人のわたしを生きる、という冒険心に、
満ちています。