ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

何てことのない日常の輝き*日々のつれづれ*

2017年05月15日 | Weblog

実家の田植えを手伝っていた時のことです。


田んぼ仕事は、できるだけ手作業にこだわってきた父ですが、体力の低下と共に、手作業の面積が少なくなってきていました。

そして、数年前から、機械(手押しの小型の田植え機)を使うようになりました。


今年は、機械に付いていくのが大変そうでした。

田んぼはぬかるみ、機械は重いのです。

一度にはできず、何度も休みながら、やっと植えていました。


わたしは、苗を渡したり、植えられなかったところを手で植えたり。

そうしながら、父の姿を、じっと見つめていました。



今年で最後になるのかなあ・・・と思っていました。

父のお米、父が「自分で育てた」と誇りをもって言えるお米は、今回で最後になるかもしれない、と。


周辺の田んぼは、大型機械が威勢よく走っています。

みな、大型機械を持つ人に委託して、お米を育ててもらいます。


やがては父も、その選択をしなくてはならなくなるのでしょう。

誇り高い父には、切ないことに違いありません。



父の田んぼ。

頼んで作ってもらっても、父の田んぼ。

でも、きっと、まったく違うお米になるでしょう。



毎日見廻り、水の管理や草のこと、鳥のこと、農薬の一斉散布を断っている田んぼを守りに現場へ走り、見届けていた父。

父のお米は、父が育てたもの。

父そのものでした。



わたしは、なんとか頑張って機械を押す父を見つめながら、

「ありがとう、こんなに長い間お米を育ててくれて、食べさせてくれて。」

そう、心で伝えました。


もし、来年も、「自分で植えたい」と父が言ったら、わたしは何としても手伝いたい。

よろよろしてても、転んでしまっても、わたしはそれを支える。

田んぼがめちゃめちゃになってもいい。

父の想いを、遂げさせてあげたいと思います。



不意に、想いが溢れ、悲しくなってきて、横を見たら、

息子が楽しそうに、小川で、空になった苗箱を洗っていました。


その姿を見たら、わたしの心が、穏やかなところへと戻りました。



しっかりと見ておこう、そして、おぼえておこう。

大好きな、父の、この姿を。

今日という日を。



母も同様です。

膝の痛みのため、今年から田んぼ仕事ができなくなった母。


わたしは、離れて暮らしているし、嫁に出た娘ですが、

そのわたしにできる範囲で、してあげたいことを、ひとつひとつ、大切にしていこうと思います。

そして、その時その時のよろこびを、しっかりと感じていようと思います。



洗い物ひとつ、洗濯ひとつ、してあげられることは、素晴らしいことですものね。


だから、いま、わたしには、何でもない日常のひとつひとつが、みんな、輝いて見えます。


ほんとうに、みんな、みーんな、輝いて見えるのです。












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