ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

わたしのこころ*日々のつれづれ*

2017年07月13日 | Weblog
“わたしって、どこかおかしいのかもしれないなあ”

幼い頃から、そう感じていたのですが、

わたしは、ゲームや競争が好きではありませんでした。



ゲーム、というのは、テレビゲームも含め、トランプやカルタやボードゲームのことです。

それから、鬼ごっこや、かけっこや、あらゆる球技、スポーツ全般。



「競う」「順位をつける」
ということの価値が見つけられなかったのだと思います。


みんなが「勝ち」を目指してスタートする、ということに心が付いていきません。

そして、勝つ人がいれば、負ける人がいて、ビリの人がいる、ということも、その意義がわかりませんでした。

ごく稀に、自分が勝者になることがあっても、全く喜びがありません。



どうしてかしら…

軽い気持ちで楽しめたらいいのに…

深く考えすぎるんだろうな…

わたしって、なにか変なんだろうな…

と、感じながら。




正直にお話ししますが、

わたしは、今でもそうなんです。


ゲームが楽しくないのです。

勝負や競争を前にすると、心がすうーっと引いてしまいます。

何かの大会や、オリンピックですらも、

“すごいな”

“努力したんだろうな”

“美しいな”

とは思いますが、必ず採点や判定が伴うので、その段階で興味を失います。


応援することは素敵なこと、頑張る人たちも素敵。

それなのに、どうして、虚しさを感じてしまうのでしょう。




つい、数日前、その答えに出会いました。

それは、古書店で見つけた一冊の本。

ずっと読みたかった本。

その中に、書いてありました。



『ミュータント メッセージ』
(角川書店)
マルロ・モーガン 著
小沢瑞穂 訳


不思議ないきさつで、先住民 アボリジニ 「真実の人族」と旅をしたアメリカ人女性の体験記。


「真実の人族」に、スポーツや試合について説明しようと、みんなでかけっこをしようと提案した著者。

一番速い人が勝つ、と説明した時、彼らは驚きました。


「だけど、ひとりが勝ったら残りはみんな負けるんだろう。それは楽しいのか?ゲームは楽しむためにあるんだよ。どうしてみんなでそんな競争をするんだろう?それで勝者が本当に強いと思うんだろうか?その習慣はよくわからないよ。あなたの国ではうまくいくのか?」


彼らも、遊ぶこと、ゲームも大好きだが、それは、勝者も敗者も出さず全員が楽しめるものだけだという。




ここを読み、わたしは、思いました。


わたしは、たぶん、原始的なのです。


生き方は現代人だけど、感覚が原始的なのです。

アボリジニの人たちの歴史は5万年と言われていますが、

わたしの中には、その時代からの感覚が、ほんの少しでも残っているのでしょうか。

現代人にはとてもなりきれない、そんな存在なのでしょうか。



そんな観点で見回すと、まわりの人々は、この現代に、この文明に、ちゃんと適応して生きています。

凄い、と思うんです。



その上で。


その上で、わたしは、自分のこの感覚を生きようと思います。

抑えることも、誤魔化すこともしないで、

わたしはこうなのだから、と、受け入れたい。


もしかしたら、この感覚は、わたしの軸なのかもしれません。



わたしを許すことの天才である息子は、

わたしがゲームに消極的なことも許してくれていて、

「いいんだよ、ママはママなんだから。」

と言ってくれます。

そして、一緒に、勝者や敗者のないルールを考えて、遊びます。


(ごめんなさいね、本当は、普通のルールで遊びたいのにね、やりたいゲームもいっぱいあるのにね。)



月に一度、帰省した時に、息子のゲームに付き合ってくれる主人に、感謝しています。

息子とチャンバラや将棋をしてくれる祖父に、感謝しています。

いいえ、もっともっと、感謝したい。


そのお蔭で、この心を持ったわたしが、生きていられるんだもの。













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