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壱岐島へー3

2017-04-08 | 日記

  ㋃6日(木)
旅の3日目。今日は長崎県の平戸島内観光と佐世保市北松浦半島西岸のリアス式海岸の群島「九十九島」の眺望を楽しむ予定になっている。
島の数は大小全てで208もあるそうだ。遊覧船に乗る観光もあるようだが、展望台から360度の景色を見渡す方を選んだこのツアー。期待していたところ、お天気があまり良くなくて心配、果たして・・・・・

午前7時30分ホテルを出発して、赤い平戸大橋を渡って島に行く。
最初は「寺と教会が見える風景」という事で海岸通りから続く石畳の坂道を進んでいくと、「おっ ココだ!」教会の尖塔とお寺の屋根や白壁が木々の緑と共に素敵な景観を成していた。教会尖塔の十字架がまるで輝く一番星の様に見えた。そして振り向くと平戸城が見えた
瑞雲禅寺、光明寺を過ぎて長い坂を、登りきると正宗寺の前で満開の桜が私達を迎えてくれた。開花が遅く待ちに待っていた今年の桜を遙かこんな遠い所で見れるとは思いもよらなかったのですっかり嬉しくなった。
            
                                     (画像はクリックすると拡大する)

直ぐ側にザビエル記念聖堂が在った。聖堂は薄みどりのコンクリート造りの清楚な教会である。
ステンドグラスの窓に囲まれた教会の中は撮影禁止で写真を残すことはできなかったが、海外のあちこちで見た教会の小規模的なもので、敬虔なクリスチャンの礼拝する姿が目に浮かぶ。庭にはキリスト像とフランシスコ・ザビエル像があった。
         

続いて大きな蘇鉄が育っている大ソテツ通りには、県の指定文化財・六角井戸があった。明(中国)様式の井戸だそうである。当時中国との貿易が盛んで平戸の大名に優遇されていた明商人が平戸に居を構えていた名残のようである。貿易商人王貞の像等もあった。
      

九州の種子島にポルトガル人が鉄砲を伝えたのが1543年。そして日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(スペイン人)が、1549年に鹿児島薩摩半島の坊津に上陸し、翌年この平戸で布教活動を始めたそうである。
ポルトガルやスペインと日本の国交が深まり、九州の長崎や大阪の堺の港で貿易が始まり、これがいわゆる南蛮貿易と言われるものらしい。当時ヨーロッパ人を南蛮人と言っていたので、ヨーロッパとの貿易をそう呼んだのだそうである。

戦国時代、キリスト教の信者になった大名も多く居たと言う、そういえば大伴宗麟(おおともそうりん)の名が記憶の奥底から蘇ってくるよな。
ところが1589年豊臣秀吉によってキリスト教禁止令が出されそれ以来1873年(明治6年)に禁止令が解かれるまで、信者達は隠れキリシタンとして辛い目に遭いながら人生を送ったという話を聞いている。
お四国遍路のお寺の片隅に隠れキリシタンのお墓があったっけ。幕府が厳しく取り締まる中彼らをそっと受け入れたお寺が在ったのを知ったのはその時だった。

1853年(嘉永6年)ペリーが黒船に乗って神奈川県の浦賀にやって来て開国を迫るまでずっと鎖国を続けてきた日本、と覚えていた私は、ココに来て大陸との国交があった昔を垣間見て、目が覚めた。(笑)


「九十九島パールシーリゾート」で昼食後いよいよ期待の九十九島を一望できる展海峰へ向かう。
満開の桜と菜の花畑に感動!案の定小雨に煙る九十九島は残念であったが晴天の景色を想像して気持ちを収める。
         
                             

買い物では長崎名物・作りたてのカステラの美味しかったこと!お味見も沢山させて下さった。長崎カステラのファンである私は、ますます好きになりそう。(笑)
午後5時30分福岡空港発、伊丹空港午後6時40分着、無事帰宅。旅の余韻に浸りながら日記を書いている。                                                                                                




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