ヒルズの映画鑑賞日記

色々なジャンルの映画の解説を随時載せていきます。

ヒルズの映画ランキング2016

2016-12-24 22:44:37 | 日記
【ヒルズの映画ランキング】


読者の皆さん、お久しぶりです。
今年の下半期はORIVER.CINEMAさんでのライターの仕事や数多くの試験により多忙な時期であった為、中々こちらのブログに顔を出せずにいました。




いよいよ年末に迫ってきたこともあり、久しぶりにこちらのブログにて《私的2016年ベスト映画》を発表します。需要はありませんが、それでもこちらのランキングを読者の映画選びの参考にでもして頂ければ幸いです。但し、あくまで独自の好みで選考したまでですので、必ずしも作品のクオリティを保証するものではありません。


まずは惜しくもベストテンから外れてしまった
第20〜11位の映画を発表していきます。


第20位:さざなみ

第19位:ハドソン川の奇跡

第18位:最高の花婿

第17位:手紙は憶えている

第16位:シビルウォー/キャプテンアメリカ

第15位:ファインディングドリー

第14位:家族はつらいよ

第13位:ローグワン

第12位:リップヴァンウィンクルの花嫁

第11位:この世界の片隅に


では、いよいよ第1位〜第10位を発表します。
こちらは選考の理由も込みで記載します。尚、選考理由の記載についてはSNSに投稿した感想を殆ど引用している為、文面が変わってしまいますがどうか悪しからず。



第10位:ヴィクトリア



主人公の人物像を暗示したかのような光が点滅するオープニングショットから一気に世界観に魅了されてしまう。全編ワンカットで見せる異国の少女が迎える一夜の悲喜劇はダイナミックかつ繊細であり、終始感情を揺さぶられた。まさに《体験》そのものであり、他の映画では類を見ない感慨深いものがある。傲慢、恐怖、戸惑い、悲哀、再起……等々あらゆる普遍的な要素を一つの画に取り込んだ衝撃的な青春映画。


第9位:クレヨンしんちゃん/ユメミーワールド



本作は『オトナ帝国の逆襲』『戦国大合戦』に匹敵する劇場版クレヨンしんちゃんシリーズの最高傑作と断言できる。近頃では規制により影を潜めつつあった限度の知らない下ネタやブラックジョークを完全復活させたと共に、歪んだ愛情の根底にある狂気やトラウマの克服、そして母性の逞しさといった大人向けのテーマをも慎重に取り扱っている。正しくコメディ要素とシリアス要素が過不足なく調和した上質なアニメ映画であった。


第8位:PK



『E.T.』×『フォレストガンプ』の印象が強いインド映画。二転三転するストーリーながらも伏線の回収やメッセージ性等々あらゆる要素がバランス良く詰まっており、一瞬たりとも2時間半の長さを感じさせない秀逸な作りになっていた。純粋無垢な宇宙人が繰り広げるドタバタ劇の楽しさに加え、彼の目を通すことにより「信じるものが異なるだけで人間同士は争ってしまう。」という宗教問題の根幹を律儀に写し出しており、一筋縄ではいかない面白さがここにあったと言えるだろう。


第7位:マネーショート/華麗なる大逆転



リーマンショックを題材にした映画の中では極めて突出した恐ろしき傑作。これほど軽快な語り口で一般人と経済事情の溝を埋めることに貢献出来たのもコメディ畑で培ってきたアダムマッケイの手腕があってのこと。そして、どん底に陥る人々の前にして大儲けする男たちの物語には大きなカタルシスなど微塵もなく、我々はただ「目に見えるものだけを信じてはならない。」という説得力の強いメッセージを叩きつけられ、慄くのみ。これぞ堅実に作り込まれた証である。


第6位:海よりもまだ深く


「普通の人々に微かな光を照す」という是枝監督の作家性が最大限に発揮されたマスターピース。「なりたいものになれなかった現実の自分」、そんな誰しもが一度は抱く側面をドライかつ忠実に描いてみせるも、樹木希林が魅せる母の言葉や愛情がそんな彼らを優しく包み込んでいく。まるで台風の夜に集まったバラバラの家族を呼び止めるかのように。どこか欠けてしまった人々が愛おしく感じてしまうからこそ、温もりのある語り口に寄り添った主題歌の『深呼吸』で思わず号泣してしまった。どんな形であれ人生は歩まなければならないのだと悟って…。


第5位:シンゴジラ



やはりアニメーション出身の監督が手がける実写作品は革新的なものが多く、本作もその一つであった。考えただけでも冗長極まりない会議のシーンを、固定された画のシークエンスや編集のテンポの早さでリアリティを重視しつつも面白おかしく見せる手法はとても巧いし、ハリウッド版ゴジラと比べても見劣りしないゴジラの映像には頭が上がらなかった。そして、何と言っても日本映画史に残る熱線のシーンにおいては、全てのものが無力と化し、ただ呆然と眺めることしか出来ない状況に、悔しさ、哀しみ、怖さ、虚しさ…自分の中に潜むあらゆる負の感情が一斉に湧き出てしまった。ゴジラ映画、災害映画というジャンルの枠を疾うに通り越した不朽の名作。


第4位:母よ、



鑑賞中にこれほど胸が締め付けられる思いをした映画は他に類を見ない。それほど本作が人間の鬱屈した感情を描き出した現代的な映画という証である。映画撮影は曲がり角を迎え、元夫との間に生まれた娘は反抗期に突入し、それに追い打ちをかけるかのように看病していた母親の余命宣告を受けるマルゲリータ。いくら虚構の世界(映画)で理想を語ろうとも、大切な存在が消えていこうとする現実の前では無力と化していく。そんな二つの狭間で葛藤、苦悩する彼女の姿が、折しも自身に近いものを感じてしまう。生と死、愛と憎しみ、喜びと哀しみ…人生において表裏一体となるこれらを受け入れる以外に我々に道はないのだ。


第3位:ザウォーク



ロバートゼメキスは常に高度な映像技術を用いることで物語の中にある”もの”を紐解くストーリーテラーであり、本作はそんな彼の作品の集大成と位置付けて良いのかもしれない。彼はアニメーションを手掛けていた時期に培われたスキルを駆使して、未曾有の実話により迫力と没入感を与えることに成功していた。しかし、それはあくまでも物語を伝える上での”ツール”に過ぎない。本作の真の見所は、画に横たわる一直線のモチーフ、時間を遡ること、虚実に翻弄される人間の弱さ……これらのテーマを踏まえた上で「なぜ人間は夢を見るのか、そして挑戦するのか。」を問い掛けるところにある。そして、その答えが悲劇を暗示させつつも、夢を追いかけることがいかに美しいかを語る結末に涙する。心の底から推奨したい一本。


第2位:ひそひそ星



今年度最高峰のSF作品、ここにあり。数多くの多種多彩なジャンルの映画を手掛けてきた園子温が自身のプロダクションを立ち上げると同時に初期の実験的な作風に原点回帰を成し遂げた一作。「居場所を追われたり、家を失ったりした、わずかな地球人は、常に思い出を頼りに生きている。そんな彼らのために『記憶の宅配便』が宇宙を運行している」という彼の持論から生まれた主人公のアンドロイド・鈴木洋子。人間的な感情を一切持たない彼女の目から覗く荒廃した世界観は何とも空虚で、鬱屈しているが、どこかその中にアグレッシブな美しさを感じてしまう。タルコフスキーやキューブリック作品にオマージュを捧げつつ、設定やビジュアルはあくまで昭和レトロ風に仕上げ、未来に無関心な我々日本人に警鐘を鳴らした本作は実に画期的な日本映画と呼べる。




そして本年度の冠を被るのは………………


第1位:BFG!!!!!!



ディズニーとスピルバーグという究極のドリームタッグによって生み出された現代版『E.T.』は、全てにおいて魅力的かつ傑出したファンタジー映画と豪語させて頂きたい。イマジネーションの無限性を感じさせる幻想的な世界観とスピルバーグが根底に持つ容赦なきブラックユーモアの完璧な融合。映像の魔術師ならではの職人技巧と言える、”巨人世界における人間”と”人間世界における巨人”の堅実な対比。30年代の特撮映画を想起させるクラシカルな撮影手法に回帰して作り込まれた巨人混戦。機知に富んだ誇り高き圧倒的年長者の巨人により紐解かれる「普遍的な幸せ」の意味。機微についたスピルバーグが描く異なる登場人物間のコミュニケーションは単なる過去作品の複合体に留まらず、これからを生きる人々に向けた温かくも深いメッセージ性へと繋がっていく。子供向け映画の皮を被った壮大なるノスタルジー映画とも言えるので、賛否両論あるが是非とも多くの人に推奨していきたい。




以上、私的2016年ベスト映画ランキングでしたが、念のため再度整理しますと


①BFG
②ひそひそ星
③ザウォーク
④母よ、
⑤シンゴジラ
⑥海よりもまだ深く
⑦マネーショート/華麗なる大逆転
⑧PK
⑨クレヨンしんちゃん/ユメミーワールド大突撃
⑩ヴィクトリア

11.この世界の片隅に
12.リップヴァンウィンクルの花嫁
13.ローグワン
14.家族はつらいよ
15.ファインディングドリー
16.シビルウォー/キャプテンアメリカ
17.手紙は憶えている
18.最高の花婿
19.ハドソン川の奇跡
20.さざなみ

このような感じになります。
劇場公開されなかったり原則1枠につき1本というルールの下選考した為に止むを得ず外してしまった作品も多々ありました。今年はそのぐらい小さな傑作が沢山世に送り出された年とも言えるのでしょうか。
来年の映画陣にも大きな期待を寄せたいところですね。


※本ブログを綴っている間に、女優のキャリーフィッシャー氏がお亡くなりになりました。謹んで哀悼の意を表します。




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生きる『自分を変えれるのは自分だけ。』

2016-09-11 13:45:45 | 日記
【ヒルズの映画観賞日記】





《本作について》
癌で余命幾ばくもないと知った初老の男性が、これまでの無意味な人生を悔い、最後に市民のための小公園を建設しようと奔走する姿を描いた黒澤明監督によるヒューマンドラマの傑作。市役所の市民課長・渡辺勘治は30年間無欠勤のまじめな男。ある日、渡辺は自分が胃癌であることを知る。命が残り少ないと悟ったとき、渡辺はこれまでの事なかれ主義的生き方に疑問を抱く。そして、初めて真剣に申請書類に目を通す。そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書だった……。


本作の『生きる』は数ある黒澤映画の中でもヒューマニズムの頂点に達したと評されており、50年経った今でもレンタルビデオ屋では名作コーナーに置かれてるほど名の知れた作品である。
午前10時の映画祭でリバイバル上映されたことだし、なぜ『生きる』は他のドラマよりも優れてるのかをじっくり考えたい。



初めに苦言を一つ申しておくと所々流れてくるナレーションははっきり言って不要である。
忙しなさそうに淡々と仕事をこなす様子や葬儀の場面にわざわざ「これは〜である」と一から説明するとせっかくの巧みなカメラワークや役者の演技が台無しになるからだ。演出が誇張されながらも圧倒的なパワーで画を決める作風が特徴的な黒澤だが、今作のような憂鬱な老人の現代劇に果たして過剰演出は必要だったのか些か疑問である。

しかし、高慢的なナレーションを差し置いても本作はこれまでにないぐらい優れた余命ドラマであることに間違いない。余命を扱ったドラマといえば色んな要素を取捨選択せずに詰め込んで結果的に陳腐で在り来たりな御涙頂戴ドラマになってしまうケースが多いが、本作には150分通して「自分を変えることが出来るのは自分だけ。」というテーマが一貫している。使い古されたテーマと思われがちだが黒澤明はこれを手緩さを潜め、ドライな切り口で描き通したのだ。



人間は自らの死を知った時に限って大事なものを見つける生き物だと言われているが、主人公・渡邊が見つけたのは孤独という残酷な現実である。手塩をかけて育てた息子にさえも自らの状況を理解どころか話すら聞いて貰えなかったのだ。死と孤独という十字架を抱えた渡邊はヤケになって深酒したり遊び呆けたりして気晴らしを試みるがそれらは何一つ彼を変えてくれたりはしない。『恋セヨ乙女』の歌唱場面はまさに人生の短さ、虚しさ、脆さ、儚さを痛感した渡邊の悲痛の叫びであり、それは途中下車した時に小説家に薄らと見せる不気味な笑顔で終止符を打つと同時に諦め、絶望へと変わっていくのだ…。

前半で死とは人にとってはどれほど恐ろしいものかを圧倒的リアリズムと軽快なテンポで見せつけたが、ここで主人公と対照的な女の子を出して絶望から希望へと上手に落とし込む、これもまた黒澤明の手腕ならではの話。女の子こと小田切は渡邊と楽しい一時を過ごすが決して甘やかさずに「自分を変える」とは、「人生を変える」とは何かを間接的に説く、いわゆる天使のような役どころであり、これが見事に小説家や役所の人達との対比になってるのもまた面白い。彼女のおかげで渡邊はウサギの玩具のように歩き出し、ハッピーバースデーに合わせるように自分自身を”誕生”させていくのだから。



この後の一連の主人公の活躍を葬儀場の出席者の会話から断片的に見せるという謂わば”クライマックス後から覗くクライマックス”は、渡邊のドラマを説得力のあるものに、また「たとえどんなに小さなことでも誰かの為に尽くせば”生きた”証として残っていく」というメッセージ性に繋がっていく。だからこそ物語におけるカタルシスを活気ある子供を象徴するブランコで感じさせるラストシーンは人々の心を打ったのかもしれない。

だが、黒澤明が真の意味で描きたいのはもっと別のところにある。渡邊がいなくなった後も何一つ変わらない現実を写し出し、官僚主義への批判とともに「自分を変えるのは自分だけ。」という結論を先述したメッセージ性の延長線上に着地させる、これこそ『生きる』の本質的かつ重要なファクターであり、彼が成し遂げたかった事ではないだろうか。




以上個人的な見解を踏まえた上で締めに入るが、特に突出したところのないごく普通の人間ドラマを優しくも棘のある形で見せた黒澤明はやはり偉大だし、愚純な男を見事に演じた志村喬も素晴らしい。ネタバレ込みで色々と綴ったが、本作は結末ありきの人間ドラマだから未見の人は是非とも観て欲しい一本である。

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バックトゥザフューチャー『名作の奥底に凝縮された時間、一直線、虚実とは。』

2016-07-22 17:32:21 | 日記
【ヒルズの映画鑑賞日記】





こんにちは。

バックトゥザフューチャーッ!!!
…と聞けば大半の人はピンとくるはずだ。
老若男女を問わずあらゆる人々を興奮や感動に包み込み、長年愛されてきたシリーズだからだ。
昨年がちょうどPART2の未来編の舞台である2015年だったことや、この間の5月31日にユニバーサルスタジオジャパンの「バックトゥザフューチャーザライド」が閉鎖されたことは記憶に新しい。
そんな中、午前10時の映画祭にて本シリーズがなんと三週連続でリバイバル上映されるというニュースが舞い込んできた。
今までは学校の映写機で観るのが精一杯だったのが、環境の整った劇場でしっかり堪能することが出来るとなれば、本シリーズの大大大ファンである僕にとって行かないという選択肢は無かった。
早速ながら本日観てきたが感動はやはり映画館の方が何倍も大きかったし、夏休みの立派な思い出になることは間違いない。
ただし、ここでその感動を共有しようなんて気は毛頭ない。

前置きはこの辺りにして、本ブログは劇場で放映される映画を不定期に取り上げて解説解釈するのが主旨だが、今回『バックトゥザフューチャー』に関しては、最もよく知られた作品なのでいちいち一から取り上げて紹介みたいなことはしない。
では代わりに何をするかというと、本作をシリーズの生みの親であるロバートゼメキスという人物の視点を中心に、解釈していきたい。

※本ブログには、本作の結末に触れる箇所があるので、未見の方はくれぐれもご注意を。




ロバートゼメキスの作品といえば真っ先に思い浮かぶのが時間だ。
彼の作品のほとんどは常に時間というテーマに沿ってストーリーが展開されていく。
時間というのは、たとえ我々が何をどうしようが一生不変であり続ける数少ない無限的な存在で、ストーリーテリングにはこの摩訶不思議な要素が欠かせないと彼は考えてるからであろう。
また、ゼメキス作品での時間というテーマの取り上げ方も実は大きく分けて二つに分かれている。

一つ目は時間と戦うこと。
時間というのは先述の通りどんな状況に至っても絶対に不変なので、時に我々はこれと戦わなければならない。
『ユーズドカー』では数百台の車を刻限までに中古車店に到着させる使命を託された主人公や、『キャストアウェイ』では無人島で無限に時間が進む中あらゆる手で生きようとする主人公にその姿が見られる。

二つ目は時間を振り返ること。
時間は当然ながら進み続けるので止まってくれることもなければ戻ってくれることもない。
もう二度と行くことができない過去をあらゆる方法でアプローチまたは疑似体験しようとする人間の姿も描かれている。そしてゼメキス自身もそう描くことによって一時だけ懐旧しているのだろう。過去の美を取り戻す為に女性二人が命さながら奮闘する『永遠に美しく』、純粋無垢な一人の男の視線から激動のアメリカ史を横断する『フォレストガンプ』などのように。

ここで話を『バックトゥザフューチャー』に戻してストーリーをよくよく思い返してみると、本作には先述した時間というテーマに対する取り上げ方がなんと一作に凝縮されていることに気がつくだろう。
誰もが一度や二度は釘付けにされた終盤のマーティが時計塔下でデロリアンを走らせる名シーンは一つ目に挙げた時間との戦いが他作と比べてよりダイレクトに描かれるし、ロックアンドロール誕生のきっかけを変えるお遊びや公開当時は苦情が頻発したレーガン大統領ネタなど、マーティが1950年代に纏わるものに触れる描写の数々は、二つ目に挙げたゼメキスの懐古欲求がもろ剥き出しになって生まれたといってもおかしくはない。
しかし、1955年での描写から見られたゼメキスの懐古思想は、時間との戦いを経て、彼自身の手によって細やかに諌められている。いくら過去を楽しんだところで結局は未来に戻らなければならないし、不変の存在である時間には逆らえない。その考えはまさに未来へ帰ろうとするマーティンそのものであり、これこそが真の意味で体現された「バックトゥザフューチャー」なのだ。




また、ロバートゼメキスは視覚効果をあらゆる日常的な場面で駆使する魔術師としても非常に評価が高い。
彼のフィルモグラフィーを辿ると『フォレストガンプ』や『ロジャーラビット』のように物理的に共存し得ない二つのものを共演させ、『コンタクト』では現実味のある観点から未知との交信を壮大かつ鮮明な映像で見せるのに成功している。その後『ポーラーエクスプレス』や『クリスマスキャロル』とフル3DCGアニメから映像技術の極限を追求するが、残念ながらそれら全ては失敗に終わる。だがそこで活かされたスキルと経験がもとになって『フライト』『ザウォーク』という視覚効果が大いに貢献した傑作を世に送り出す。

こうした一連の彼の映像に対する拘りは、元を辿れば既に出世作『バックトゥザフューチャー』にあったというのは決して忘れてはいけない。
もちろん本来原爆実験によるタイムトラベルを断念した逸話があるように、本作は予算に余裕がなかった。だが、視覚効果というのは必ずしも高度な技術のみを指すとは限らない。言葉ではなく視覚によって映されるあらゆるトリックもまた視覚効果であり、本作にはそのトリックが随所に見受けられる。
さらに様々な映画関連の本でも指摘されてる通り、この中にはゼメキス作品に共通した一つの最も重要な視覚的モチーフが隠されていた。
それは、一直線だ。
実際に観たら気づくが『ロマンシングストーン/秘宝の谷』のラストや『ザウォーク』の綱など、彼の作品には必ずといっていいほど一直線が視覚的に浮かび、それが作品の大きなファクターとして機能している。

ではなぜ彼の作品では一直線が視覚的モチーフとして用いられるのか。
一直線とは点と点を真っ直ぐに繋ぐことによって生まれるものだが、これはまた何事も一から現実に、やがては未来へ繋げていくためには真っ直ぐで揺るぎない意志、それも自分自身の手によって行うことが必要だという比喩表現でもある。
そして、時間と同様に一直線というテーマが直接的に詰まっているのが本作『バックトゥザフューチャー』である。デロリアンがタイムスリップするための時速140キロを出すには長い一直線の道が必要だし、「道?そんなものなど必要ない」という台詞には未来は与えられるものではなく自らの手で築くものだというメッセージが込められている。
デロリアンが一直線に沿って道なき道を駆け抜けるラストには、楽天的な未来への希望とカタルシスに満ち溢れているため、我々は何度でも観たくなってしまうのだろう。





さらに、ゼメキス作品における大事なテーマといえば虚実だ。

彼の作品には必ず一度はどこかでターニングポイントにあたる非日常的な体験が先ほど言及した高度な映像技術を使って描かれる。そこから物語的に嘘と真実が混濁する状況が生まれ、周りに理解されない主人公が孤独感に苛まれていく。
『コンタクト』の宇宙の未知なるものとの交信に成功するが公的の場でその信憑性が呆気なく否定されてしまい苦悩するヒロインや、『フライト』の飛行機の壮絶な事故に遭遇し元の日常へ戻れないどころか悪化してしまうパイロットで描かれたように。
そこから嘘と真実の狭間に立たされた主人公は自ら嘘を貫き通すことによってピンチから脱却しようと試みる、人間誰しもが持つ不可避のグレーな側面に容赦なくアプローチするのもゼメキスの持ち前の作風である。
そして、そのような深遠で暗然たるテーマが、疑わしき日常を嘘のまま終結させるか否かで戸惑う『ホワットライズビニース』や、嘘を貫くことで永遠の美が手に入る『ベオウルフ/呪われし勇者』以上に薄らながらも強かに描かれてるのが、やはり本作『バックトゥザフューチャー』である。

こちらは前に挙げた作品ほどシリアスには触れられてないものの、誰もが予想だにしないタイムトラベルという究極の経験をすることで内面的な部分も含め窮地に立たされるマーティの姿が描かれている。そしてマーティは過去から帰還する過程として無意識にも過去にあった様々なものを改変していってしまう。それによって最終的にマーティ目線での世界は幸せな方向へ変わるのだが、これはいわゆる嘘によって塗り固められた幸せであり、ゼメキスが探求する虚実そのものでもあるのだ。
ドクはそれをたしなめる役割として無闇に歩き回ず、自らの未来を教えないようマーティに忠告するものの、彼自身も結局のところ手紙を読んで死ぬ運命を逃れた上に「この際、カタいことを言うな」と綺麗な形で流しているのだから、これほど恐ろしいことはない。




以上、「時間」「一直線」「虚実」というゼメキス作品に共通して描かれるテーマから名作『バックトゥザフューチャー』を解釈していった。

こうした観点からアプローチすると、本作はやはりゼメキス作品の中では出世作にして集大成のようなものであり、監督本人が「最高傑作だから絶対にリメイクさせない」と公言するのがよく分かる。
ただ、あくまで先述した見方は僕個人のものであり、必ずしもそれが正しいものとは限らないということは是非とも分かって頂きたい。
何がともあれ『バックトゥザフューチャー』は色んな所で色んな切り口から語り尽くされてるほど映画史上屈指で愛された作品であり、それは永久不滅であることに変わりはない。
そして、その作品を映画館で観れる機会は下手すれば一生訪れないかもしれないので、何度も観た方も未見の方も是非お近くの映画館で堪能して欲しい。また諸事情により映画館で観れない方もこの機会に本作を鑑賞することをお勧めしたい。


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ブルックリン『あらゆる要素を兼ね備えた魅力的な恋愛映画。』

2016-07-20 13:43:53 | 日記
【ヒルズの映画鑑賞日記】





個人満足度:86/100


《本作について》
『わたしは生きていける』などのシアーシャ・ローナンを主演に迎え、アイルランドからニューヨークに移住した女性の青春の日々を映すドラマ。アイルランドの片田舎から大都会のニューヨークにやって来たヒロインが、戸惑いながらも自らの宿命と愛に身を任せる姿に迫る。『パディントン』のジュリー・ウォルターズやジム・ブロードベントらベテラン俳優らが共演。二つの国と二人の男性の間で引き裂かれていくヒロインの成長物語が胸に響く。
アイルランドの町で暮らすエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は、きれいで仕事もバリバリこなす姉ローズ(フィオナ・グラスコット)とは正反対だった。内気な妹の未来を心配するローズの考えもあり、エイリシュはニューヨークに渡ることを決意する。だが、田舎町での静かな生活とは全然違う暮らしが彼女を待ち受けていた。





初めに記しておくと僕は基本どのジャンルでも好き嫌いはしないけど、唯一恋愛映画となると少し抵抗感を抱いてしまう傾向がある。
しかし、本作はそんな恋愛映画に食傷気味の僕でさえ心を打たれたパワーを兼ね備えていた。
なぜなら、本作は恋愛映画の枠に留まらず、ノスタルジーや成長物語など、あらゆる要素に通ずるもので大変優れており、見応えのある人間ドラマに仕上がっていたからだ。


1950年代に故郷アイルランドからアメリカのブルックリンへ上京するという内容だが、僕が気に入ったところはストーリーがどこまで進んでいようと「上京した女性の物語」をテーマとして貫き通したところに尽きる。

今まで暮らしていたところを離れ、誰一人知り合いのいない新しい場所へ行く主人公・エイリシュはブルックリンで泣きべそをかきながらも何とか自分の居場所を見つけようとする。
そこで転機となるのが恋人・トニーとの出会いだ。彼はイタリア系ということもあり二人はカトリックの共通の基盤もあった上で結ばれていくのだが、そんな甘ったるい雰囲気をだらだら続けるほど本作は優しくない。二人の関係が上手くいき、エイリシュ自身の生活も充実し始めた途端にある衝撃の展開を挟み込み、再び主題を「上京した女性」に戻していく。
さらに、悲しみに暮れながらアイルランドへ帰郷したエイリシュに待ち受けていたのは、ジムとの再会だ。エイリシュの姉をよく知るジムはトニーとは対照的な性格の持ち主であり、エイリシュはジムにもまた恋してしまう。

一見普通の恋愛ストーリーではあるが、冒頭で不安定な手持ちカメラで見せるエイリシュの新境地に対する不安や、話し相手によって話し言葉のトーンが微妙に変わっているような些細な演出を積み重ねているからこそ、彼女がノスタルジックな一面の強い子であるが故に帰郷先でジムのことを好きになる一連の流れに説得性が生まれるし、また理屈ではどうにもならない人間誰しもが持つ心の二面性をここでは繊細に追求しているのだ。




また、本作の普遍的なストーリーが上手く構成されている秘訣がもう一つある。それは色使い。

作中でエイリシュを象徴するは、自然に囲まれた故郷であり、アイルランドの国旗に含まれる色でもある。冒頭から中盤にかけてエイリシュがほとんど緑色の洋服を着ているのはやはり彼女がノスタルジーに縛られている何よりの証であろう。

アメリカに到着した際に入国審査での扉の色はだが、これは青がアメリカの国旗の色であると同時に新たなる生活のはじまりを意味する色であり、このことは帰郷後のエイリシュの心情の変化の伏線となっている。

今度はエイリシュがアメリカにてトニーと親しくなるにつれて徐々に身につけていたのは主にの服。(緑も着ているが。)これは、渡航中に船酔いした際に助けてくれた女性が主に貴重としていた色、つまり明るくて社交的なイメージであり、エイリシュが中盤以降、緑色の服と共に赤色の服も着ていたのは、ノスタルジックな一面も持ちつつトニーとの出会いにより徐々に心を開いていくのを示してしるのではないか。




独自の解釈で本作について長々と綴ったが、本作は普遍的な恋愛ストーリーでありながらも些細な演出や色使いにより表現された奥ゆかしさ、人間誰しもが持つ心理への追求による自然さを兼ね備えた、とえも見応えのある映画となっている。

本作『ブルックリン』は2016年下半期の始まりを飾るのにふさわしい作品であることに間違いはないので、機会があれば是非とも観てほしい。




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ファインディングドリー 『様々な障害を乗り越えて誕生した、極めて傑出したレアな続編』

2016-07-16 19:18:21 | 日記
【ヒルズの映画鑑賞日記】





個人満足度:89/100


《本作について》
ピクサー・アニメーション・スタジオの大ヒット作「ファインディング・ニモ」の13年ぶりとなる続編。前作の主人公マーリン&ニモ親子の親友で、ナンヨウハギのドリーが、忘れていた家族を探すために繰り広げる冒険を描く。監督は、前作「ファインディング・ニモ」や「ウォーリー」を手がけたアンドリュー・スタントン。カクレクマノミのマーリンが、ナンヨウハギのドリーと共に愛する息子のニモを人間の世界から救出した冒険から1年。3匹は平穏な日々を過ごしていたが、ある晩、ドリーは忘れていた両親との思い出を夢に見る。昔のことはおろか、ついさっき起きたことも忘れてしまう忘れん坊のドリーだが、この夢をきっかけに、忘れてしまったはずの両親を探すことを決意。「カリフォルニア州モロ・ベイの宝石」という唯一の手がかりから、人間たちが海の生物を保護している施設・海洋生物研究所に、両親やドリーの出生の秘密があるとを突き止めるが…。





僕の記憶だと『ファインディングニモ』は生まれてから映画館で二番目に観た作品であり、DVDも買ってプレイヤーが壊れるまで観たぐらい思い入れのある作品だ。

そんな個人的な話はさておき、よく続編と聞けば誰もが期待値を上げるが結局のところその期待に応えることはなかった…というのがしばしば。前作から直接繋がる続編ものなら尚更。
しかし、今作はそんな続編という壁を軽々と乗り越えるだけでけでなく、前作を超えたと言っても過言ではないクオリティとテーマを見出したオリジナリティ溢れる作品に仕上がっていた。

内容は、記憶障害のドリーが記憶の奥底に見える家族を探しに旅に出るという前作以上にハードな冒険だが、御察しの通り、この物語で肝となるのが”障害”。
人間(魚)は誰にしも欠点に思えるような性格を一つや二つは持っているが、誤解を恐れない言い方をすればドリーの場合は極めて厄介であり、いくら多様性に富んだ世界であってもなかなか周知されにくい問題である。
だが、逆に言えば、ドリーの場合は記憶障害であるが故に能天気で常にポジティブ思考だ。一見不可能であろう問題も自ら率先して突き進んでいく、逞ましい女性いや人間像が彼女の中にはある。
今作のドリーの姿からは「弱点を克服する」するのではなく「弱点を個性として受け入れる」というまさにピクサーらしい万人に通ずるメッセージ性が秘めてあるのだ!




少し堅苦しい話をしてしまったが、そこはエンターテイナーのピクサースタジオ。上記に述べた問題というのはあくまで裏に潜んだテーマであり、純粋にワクワクする冒険活劇として楽しめるのでご心配なく。
特に今回興奮させられたのがマーリンとニモの連携プレイ。ネタバレになるから水族館のとあるシーンだけ言っておくが、彼らが主人公の前作で問われた「信じる気持ち」というのが、改めてここで円滑に活かされている。こうした前作からの設定や世界観をしっかり受け継いだ上で続きの話を描いている点からしても続編としてもしっかり出来ているといえる。

また、続編だからというか実質上前作から13年のブランクがあったからこそ生まれたものも本作からたくさん見受けられる。
例を一つだけ挙げるなら、ミズタコのハンク。
ドリーらが出会う新しい仲間たちの中でもとびっきりユニークなキャラクターだが、以前ピクサースタジオに見学させて頂いた際に、案内して下さったアニメーターの方からこんな話を聞いた。
「ハンクは『スパイ大作戦』のような要素だから非常に重要なキャラクター。だから難しくても描く必要があった。」
この”難しいことに挑戦する”というピクサーの強いクリエイティブ精神により、徹底したリサーチを行い、有らゆる試行錯誤の上で一年をかけて生まれたのがこのハンク。彼はピクサーの今までの技術全てが総結集して生まれたキャラクターであり、そんな彼のどこか怪しげなキャラと柔軟な動きには見る者の心を惹きつけること間違いないので、未見の人はぜひとも注目して欲しい。
その他にも、水を通って差し込む光や水中の気泡の一つ一つなど、徹底したリアリティにより生まれた映像はやはり鮮明で、観てるだけでもうっとりとしてしまうのは僕だけだろうか。


思い入れのある作品だから長々と感想を綴ったが、本作『ファインディングドリー』は昨年の「インサイドヘッド」に続く夏に観るべきアニメーション映画の枠だけに留まらず、ピクサー黄金期への回帰にして頂点に立った、総じて傑出した作品なので、万人に勧めることは云うまでもない。



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