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否定がない意見の場  わたしがドイツの大学で学んだひとつ

見下したり相手の良い未来の見えない否定がない意見の場  わたしがドイツの大学で学んだひとつ



わたしのクラス(ドイツの芸術大学は教授に付くのが一般だと思う。)作品の制作過程で、必ずディスカッションがある。クラスの人数は15人くらい。時間の都合が付かない人たちもいてこのディスカッションの時間に顔をあわせるのは毎回10人くらい。

この場で、日本人の感覚とここでの作業に大きな差を感じたのが(これは中国人にも言えるみたいだ。韓国人たちとはこの点について話し合っていないので分からない。)、他者の作品をその人が求めている方向によりよく向かえるよう、その為に周りは何を言えるか、何が出来るか、、、一番にこれを考えているって事。
この作業を知り、このやりとりを経験した時、写真を写真家につき日本で学んでいた時の「目を見て他者を落とす独特の空気」にずっと怖がっていた自分に気づいたし、そしてここにはこれがない、存在しないんだと知り、のびのびと自分と自分が繋がりたい人や物との関係への制作に集中出来るようになった。

みんな自分の思っている事、感じている事、意見をはっきりと言葉にする。そしてそれをいつも面白いと思う。

自身の意見を言葉にし合うってとても良い事だと思う。
わたしは日本の写真のクラスでこれをした時から、奇妙な浮き方をしているのを感じていた。自分の意見を自分の言葉で発言する、これをしている人たちは当時のクラスにはとても少なかったし(皆無だったかも)、写真家の先生がこれはいい、これは悪い、彼はそれらをいつも強いか強くないかで伝え、見て盗みなさいのような職人気質日本の世界をジャーナリズム的写真を学びたかったわたしにまで課せられた。
写真をやるひとは不器用だから、言葉にする力より、作品がすべてを物語るから、、、とか。それはわたしの将来を考えた上でその発言をしてくれているのだろうか?とフラストレーションが多かった。

日本での経験を良い悪いと言葉にするのは、わたしがしっかり分析していない証拠でもあり、そんな言葉を使ってしまうのは避ける。
ただ、自分を生きるにあたり、「より生きやすい環境」は必ずあると思う。それから、2016年現在(学ぶ分野によっては海外留学生に学費をかすようになった大学もあるようだけれど)ドイツの国立芸術大学は学費が無料。学生ビザで生活費を作るくらいの仕事もできる。

10代20代前半の日本の若者たちにもっと広く自分の生きている世界をとらえ、前に進む力を育んで欲しい。
自分を生きる上で他人と戦うという奇妙な構図を持ち込んでいない世界(環境)もあると知って欲しい。




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