体験的運命学論

過去、鑑定士の言葉が有効に作用した経験や実務経験者として運命学の学校に通い勉強し考察した経験を伝達していく。

小さな小さな納骨式、遺骨を持っての移動旅から

2017-07-17 13:46:51 | 趣味的なコラム
5/17に母親が永眠、そして一昨日の7/14、遺骨を大阪府下にある墓に納骨し、一段落となりました。

納骨に関して、自ら主体的に行うのは勿論初めて(多分、生涯これきりの可能性が大)であり、一か月少し前からネットである程度調べたうえで霊園に具体的に質問・依頼致しました。

いやいや面倒だったのは、墓の権利者と申しますか登録者の母親からの継承作業で、権利証(これ、母親からは元気な時も聞いたことがなかったのでありますが)がなかったので再発行やら、継承手続きやらで、
戸籍謄本、住民票、印鑑証明・・・特に戸籍謄本は大阪の本籍地へ依頼且つ郵便為替で入手とのことで面倒でしたな。(事前に入手方法はネットで調べました)
一方でマイナンバーにより、コンビニで住民票と印鑑証明は簡単に入手でき、初体験の便利さ。

納骨式の費用等はネットで調べた範囲内だったのですが、墓石への彫刻費がネットで調べた上限を遥かに超え(まあ、霊園ごとに基準が異なるのではありましょうが)、驚いてしまいました。
だからなのでしょうが、霊園から、彫刻に関しては非常に丁寧な連絡や確認があり、費用に見合うだけの体裁付けと申しますか、付加価値を示すような姿勢といったものを感じてしまいましたな。


で、火葬証明書をはじめ、書類や支払いに関して慎重に確認しつつ、遺骨を持っての横浜から大阪への移動。


「まあ、3人で旅行するようなものだし、人込みの中で遺骨をかかえて行動するのも極力避けたい」、との意図で新横浜までタクシー移動。
さらに初体験の「のぞみ」グリーン車で新大阪まで。(かなり前ですが、「ひかり」ではグリーンチケットが手ごろな値段だったのよく利用していた覚えがあります。丁度15年前、母親が初めて嫁の実家を訪問した際にも、「ひかり」グリーン車で移動させたことがあり、それも2階席。その際、母親は「いい思い出、冥途の土産」と申しておりましたが、その後認知症の進展、東京へ転居させそして11年と、その時は全く想像もしませんでしたな)

新大阪から、宿泊予定のホテルへもタクシー移動。(半分、霊きゅう車の代わりということでの異動気分)

後は、郊外へ向かうだけ、そして平日の人口密度、チョットした安心感が生じましたな。

(ホテルで昼食をとれば、近くで大阪のおばちゃんのグループのハーモニー。たまに遭遇すれば”面白く”許せるものであります。)

そして、書類等には緊張して確認していた反動か、数珠忘れ。
母親がよく出かけていた近鉄百貨店に、探しに。
数珠はありましたが、そこは百貨店、高級品が中心。忘れ物の代償としては納得できるのものではないので取りやめ。

遺骨をもっての行動だったこともあり、「馴染みの百貨店に寄ってみたかったのでは?」、との印象。


(遺骨は、前日に嫁が偶然見つけてきた大きな布製の袋に入れておりました。見事に、すっぽり収まりました。これもお導きだったような)


なんだかんだで、少し時間的余裕ができたので、炎天下であり且つ当初は予定もしていなかったのでありますが、「(立ち退き前に)家のあった場所へ連れて行ってあげよう」ということになり、移動。


日差しの強い中、遺骨をもって家のあった場所に。(多分、この流れも”お導き”ということなのでありましょう)

立ち退きは15年少し前、道路計画に沿ってのことでありましたが、(以前にも書いたことがありましたが)道路は出来ておらず、流石に見栄えが悪い為か、一部遊歩道になっておりましたな。

汗びっしょりになり、駅へ戻り、霊園へ向かう。


墓参りには最寄り駅まで電車で移動し、霊園からのお迎え自動車を待つのであるが、これも初体験で(大きな)途中駅からタクシーで移動。

納骨式予定時刻の50分前に着、早速墓へ。

納骨式の準備がしてあり、依頼していた花も綺麗に(予想以上に)。そして彫刻を確かめ、軽くお参り。

そして、事務所に向かい、書類の提出確認と清算。

そこで、関東基準の骨壺は大きく(関西基準とは異なる)、墓に収めきれないことが発覚。

実は、これ、祖父祖母の葬儀の経験から、骨を全て大きめの骨壺に収めてくださった(東京の)斎場から私が不安に感じていたことでありました。
従って、「もし、骨壺を現地で入れ替えるようなことがあっても、そんな事態に遭遇した場合に備えて支払いの用意はしておこう」、との意識は持っておりました。
実際には、当初霊園からの見積もりのなかにあった、「さらしの袋」に遺骨を入れ替えて収めるということに。

しばらく休憩室で待った後、お寺さんが到着。
霊園への参拝者は平日の雨上がりということもあってか我々の貸切状態。
お経の前に遺骨を墓に収めたのでありますが、祖父祖母の骨壺はなく、(骨らしきものはみられ)多分、或る程度時間が過ぎた後で骨壺から出されるということだろう(容積の為)と理解。
そこに、さらしの袋に移し替えた母親の遺骨を収める。
そして、若いお寺さんの、パワフルな御経、「般若心経」はともに唱えさせていただきました。

そんなこんなで、霊園貸切状態の納骨式は無事終了。

帰路は霊園の送迎車をお願いし、最寄り駅へ。(もう2人になったので)

流石に、立ち退き交渉から15年半、それ以前のいい思い出もない、「混乱」の家庭環境をも考えると、本当気が抜け、「ぐったり」といったところでありました。


このグッタリ感による小さな不注意はその後頻繁に顔を出しましたな。


折角だからと、大阪で一泊し、昔なじみの梅田の店跡(なくなっておりました)、ミナミを散策したのでありますが、
心斎橋を中心に、どこにでもあるような若者向け、一般庶民向けの店舗が幅を利かせ、私の若年期、母親が元気だった頃の心斎橋とは大きく変わってしまったとしか言いようがありませんでしたな。
その流れは宗右衛門町も。

何か、落胆もあり、ホテルに戻って早目の就寝。
ホテルといい街中といい、中国人観光客が非常に目立つ大阪の街でありました。

翌日は嫁が初体験という伊勢へ近鉄特急で。(館内放送に中国語、さらには一部韓国語も)
さらに、人込みの中、名古屋でも途中下車し、折角だからと名古屋城見学。

名古屋、ビジネス都市であり観光客への意識は低いのではないかとの印象。
コインロッカーを見つけるのが大変、さらに、デパートのスタッフや交番での道案内も実にいい加減。
この辺、街全体として、例えば京都や東京都心とは意識の差があるのではないかとの印象を持たざるを得ませんでしたな。

まあ、ビジネス客等はロッカーなどはほとんど使わないでしょうしね。


そんなこんなで、帰路は現存の2人、流石に、気分転換プラス人込みを避けて、伊勢や名古屋城からはタクシーを利用しましたが、勿論、新幹線はグリーン車ではなく、普通車両。

とにかく、”緊張の”の往路は遺骨を含めて3人旅、”ぐったり”の復路は、観光気分での、現実の2人旅。

いやいや、グリーン車、揺れも少なく快適でしたな。


では、後日、母親の介護付き老人ホーム体験のまとめのようなものを書かせていただきます。



ご参考

7/13「介護付き老人ホームでの”円満”老衰死までのプロセスについて」
7/8「”終わりよければ・・・”までの検証 大手医療法人G傘下の介護付き老人ホームでの永眠から」
5/25「多分最初で最後?の喪主、小さな葬儀終了までの体験記」
5/20「実感、「終わりよければ、すべてよし」、介護付き老人ホームでの老衰での永眠

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2011.2.7「実録 空き地状態、全く動かない道路建設」
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筆者 佐藤彦一郎
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